本論文は、中国朝鮮族の話している朝鮮語(中国朝鮮語)の、複数の話者のアクセント体系を記述し、それぞれの体系の比較から、アクセント対立がどのような条件で失われやすいかという、変化の方向性を検討することを目的としている。
現代の慶尚道方言と咸鏡道方言には、現代ソウル方言では失われている高低アクセントの対立が存在する。朝鮮半島南東部の慶尚道方言についてはかなりの報告がなされ、地域によって様々なアクセント体系があることも明らかになりつつあるが、対して朝鮮半島北東部の咸鏡道方言については、地理的な調査の困難性もあり、あまり多くの報告はない。中国における朝鮮語話者が話している朝鮮語は、咸鏡道方言との類似が指摘されており、そのアクセントを記述することにより、朝鮮語アクセント研究に新たな側面のデータを提供することができる。

第1部では、上述のような中国朝鮮語の位置づけを明らかにし、記述の前提となる朝鮮語の音韻や文法など、基本的な事柄を概説する。その上で、先行研究を何点か紹介し、それぞれでどのような問題が取り扱われているか、あるいは取り扱われていないかを述べる。先行研究が示すアクセント体系はすべて同じではなく、中国で話されている朝鮮語も、決して一様なものでないことを明らかにする。その上で、本稿ではさまざまな体系が存在することを前提とし、それぞれの違いに着目していくことを述べる。
第2部では、出身地域の違う6名のインフォーマントからのデータを順に紹介する。それぞれ、吉林省龍井市、吉林省図們市、吉林省汪清県、黒龍江省牡丹江市、黒龍江省寧安市、黒龍江省鶏東市出身の話者である。これまであまり指摘されていない、1音節名詞に処格助詞がついたときのアクセントの変動、ならびに動詞にさまざまな語尾がついたときのアクセントの変動にも注目しながら記述する。
第3部では、第2部で紹介した話者のデータの比較、ならびに中期朝鮮語との比較を論じる。話者同士の比較では、体系の中でどの対立(型)が失われやすいか、対立(型)の失われやすさと音韻論的特徴は関係があるのかを論じる。また、現代ソウル方言との比較も試みる。中期朝鮮語との比較では、最初に中期朝鮮語のアクセントの概略を先行研究より提示し、本稿で記述した話者の体系とどのような対応を見せるかを示す。その上で、語彙ごとのリストを載せる。
第4部では、第3部までの内容をまとめ、今後に向けての展望を述べる。

吉林省龍井出身話者の体系は、n音節の語にn+1の対立がある、1音節卓立の体系である。
吉林省図們出身話者の体系は、n音節の語にn+1の対立がある、下り核アクセントを持つ体系である。3音節目以降に下り核アクセントがある語は、2音節目から高く現れる。ただし長い助詞などがついた際に2音節目が低く現れることもあり、1音卓立の名残が感じられる。
吉林省汪清出身話者の体系は、図們出身話者の体系に似ているが、2音節名詞、3音節名詞で無核の語が少なくなっており、3型アクセントに近づきつつあると考えられる。
黒龍江省牡丹江出身話者の体系は、3型アクセントといってよい。アクセントは語の境界を示す機能が主になっていると考えることができる。2音節名詞に処格助詞-eがついた場合に、主格助詞がついた場合には現れない無核の型が現れた。
黒龍江省寧安出身話者の体系は、牡丹江出身話者より対立が多い部分もあるが、むしろ音節構造がアクセントに影響を及ぼしており、他とは違う独特な体系である。1音節名詞に処格助詞がついた場合には、音節構造によってアクセントが決定される。母音終わりの語は○]に、子音終わりの語は○になる。また比較の助詞がついた場合には、○]となる。2音節名詞についても、処格助詞がついた場合のアクセントは音節構造により決定される。母音終わりの語は○○]、子音終わりの語は○○である。語そのもののアクセントよりも、音節構造によるアクセントの方が優勢になっているように思われる。
なお、牡丹江出身話者と寧安出身話者の体系は、1音節名詞で無核の語が非常に少ないという点で共通している。
黒龍江省鶏東出身話者の体系はアクセントの揺れが多くみられる。第1音節のみ高く現れる系列と、第2音節から高く現れる系列との、2型アクセントになりつつあると考えられる。ただし1音節名詞の対応を考えると、牡丹江、寧安出身話者とは違った系列とみることができる。語頭を低くして、句の始まりを示す音調が優勢になりつつある。

1音節名詞に処格助詞-eがついた場合、主格助詞がついた場合には○]で現れる語が○に交替する現象が見られる。龍井出身話者のようにすべての語において交替が起きる場合から、汪清出身話者のようにほとんどの語で交替が起きない場合、また寧安出身話者のように音節構造によって交替が決まる場合まで、話者によって交替の仕方に相違が見られた。

1音節語幹動詞は語尾がついた時のアクセント交替から、以下のように分類できる。
・語幹が一貫してHで現れるもの ……H
・基本形ではHで現れる語幹がLと交代するもの ……H/L
・語幹が一貫してLで現れるもの ……L
・基本形ではLで現れる語幹がHと交代するもの(1) ……L/H(1)
・基本形ではLで現れる語幹がHと交代するもの(2) ……L/H(2)

1音節子音語幹動詞については、6名の話者とも、語幹が一貫してHで現れるもの、語幹がHとLで交替するもの、語幹が一貫してLで現れるものの3つのグループを持ち、所属語彙もほとんど変わらない。
1音節語幹動詞で語幹が/l/で終わるものは、龍井、図們、牡丹江、鶏東出身話者では語幹が一貫してHで現れるもの、語幹がHとLで交替するもの、語幹が一貫してLで現れるものの3つのグループを持つが、寧安出身の話者では所属語彙の比較的多いH/Lに合流し、汪清出身の話者では、語幹末の/l/が落ちる場合に母音語幹動詞のアクセント交替と合流してしまっている。語幹末の/l/が落ちて母音語幹動詞と同じような形になることから、このような現象が起きると考えられる。
1音節母音語幹動詞では、語幹が一貫してHで現れるグループがどの話者にも共通して現れた。語幹がLとHで交替するグループでは、「行く」などの語を含むグループ(L/H(2))の方が、アクセント交替は変則的でありながら、どの話者もほぼ似たような交替を見せている。
中期朝鮮語は上り核アクセントを持つ体系と考えられているが、中期朝鮮語の「○を、○]に入れ替えたものが、中国朝鮮語のアクセント体系となる。1音節名詞、2音節名詞については、所属する語彙もほぼ対応する。ただし、中期朝鮮語のアクセント体系では、上声は平声+去声という扱いがされているが、中国朝鮮語との対応を考える際には、上声は去声と同じと見なす必要がある。1音節語幹動詞でアクセント交替を起こす語尾は、中期朝鮮語の交替と対応している。2音節語幹動詞も中期朝鮮語との対応が見られた。

話者同士の比較、および中期朝鮮語との比較を通して、アクセント変化の方向について以下のようなことが推測できる。
・全体的に、3音節以上の無核のパターンが失われやすい。
・1音節名詞については、主格助詞がついた際は○]、処格助詞がついた際は○という方向にまとまりつつある。ただし鶏東出身話者については、長い句の中で発音された場合、○の方向(語頭が低くなる方向)に動いている。また、子音終わりの語は主格助詞がついたときも○で残りやすく、母音終わりの語は処格助詞がついたときに○]で残りやすい。母音終わりの語に処格助詞がついた場合に○]で残りやすいのは、形態素境界で母音連続が起きた場合、L.Hとなるのを避けようとするためだと考えられる。
・2音節名詞について、○○]と○○の区別が曖昧になりやすく、○○]の方に統一される傾向がある。また、子音終わりの語は○○、母音終わりの語は○○]となりやすい。
・3音節名詞は、無核で現れる語が多い図們出身話者以外は、○○○]で終わる語が多く、この型がデフォルトになりつつあると思われる。単独で○○]○で現れる語は、助詞がつくと○○○]に交替しやすいが、単独で発音する場合は安定した型のようで、単独では○○]○、助詞がつくと○○○]という型がデフォルトになっている話者もある。
・4音節名詞では、○○]○○が失われやすい。
・1音節語幹動詞では、子音語幹動詞はアクセントの対立を失いにくく、語幹が一貫してHのグループ・語幹のアクセントHとLで交替するグループは、失われにくい。母音語幹動詞では、語幹が一貫してLで現れるパターンが失われやすく、それに比べ、LとHが交替するグループでも基本的な語が属する方は、その交替が変則的でありながらも、すべての話者にほぼ共通して現れる。
・2音節語幹動詞では、○○の型が失われやすい。基本形以外の語尾で○○]に交替する無核の母音語幹動詞から、○○]に統一される傾向がある。
・中期朝鮮語との比較を通しても、語末の開音節は○]となりやすく、語末の閉音節は○となりやすいことが支持される。
・語頭が高い語に対応する中期語の去声始まりの語のうちいくつかが語頭が低い語に対応している一方、語頭が低い語に対応する平声始まりの語で語頭が高い語に対応するものがないことから、全体的に語頭が低くなる方向に変化が進むことが推測される。
・現代のソウル方言は、これらの変化の延長線上に予想される体系と似た体系と言うことができる。