化学物質リスクの問題や生態系保全の問題など、今日解決をせまられている環境問題の多くに共通するのは、専門知が大きな不確実性をかかえており専門家に解決策をゆだねられないと同時に、個々人の価値観に応じて問題のとらえかたが変わってくるため、社会全体が合意して進むのも難しいという点である。こうした問題の意思決定をする際、科学と民主的手続きはどのように結びつけられるべきか。その際、科学を使うことの意義・根拠はどこにあるのか。こうした問いをめぐっては、予防原則や環境リスク論、参加型意思決定などがさかんに議論されているが、そこでは科学と社会の関係の現状分析、とりわけ科学知の生産される制度的メカニズムの分析が欠落している。
本研究はこうした問題意識のもと、環境問題における科学の自律性の批判的役割とそれが成立するための社会的条件について分析する。科学の自律的な研究活動は、新しい事実を明らかにし、問題の構図自体を変えることで、いずれの政治的立場から見てもよりよい意思決定を実現する可能性をもっている。科学がこうした固有の役割をはたすには、事実を明らかにする学術研究と、政策変更をせまる「批判」とを同時に追求できる社会的状況が必要になる。科学の自律性をともなった批判は、いつでも可能なわけではない。それでは、科学の自律性をともなった批判はどのような社会的条件のもとで可能になるのか。
本研究の科学社会学の文脈での意義は、先行研究において分断されてきた、「科学はどういう点で他の制度・組織から自律しているか」という「科学の自律性」の問題系と、「社会問題のなかでの科学の役割」の問題系とを接合する理論的枠組を提示し、実際に分析してみせた点にある。これまでCollinsとEvansの「第三の波」論などの理論的な試みはあったものの、この二つの問題系を接合する経験的研究はほとんどなかった。本研究は両者を接合して「社会問題のなかでの科学の自律性の役割」という新しい問題系を切りひらくものであり、双方の問題系にとって大きなブレークスルーとなる可能性をもっている。
第2章では、科学社会学や環境社会学の先行研究を批判的に吟味したうえで、本研究の分析枠組を提示した。本研究では「科学の自律性」を研究関心・業績評価の自律性と定義したうえで、環境問題の展開が科学の研究活動に影響を与え、研究の成果が問題の展開に影響を与えるという「科学と社会の相互作用」の視角から分析をおこなった。政策方針を決める行政側とそれを批判する運動側のあいだの非対称性に注目し、行政・運動・科学という三つのセクター間の関係として相互作用をとらえた。この三項モデルでは、科学と社会の相互作用の回路は、行政と科学が結びつく「科学委託」、環境運動と科学が結びつく「批判的科学ネットワーク」、学術研究が政策論議に利用される「問題フレームの共用」の三つに分けられる。事例分析では、これらの各回路が自律的・批判的に機能するための社会的条件について二つの概念枠組を用いて分析した。一つは、科学が自律的・批判的に機能する構造的な条件を論じるための「科学の制度化と自律性」という枠組である(3、6、7章)。もう一つは、科学が自律的・批判的に機能する場面に関与する個々の科学者のふるまいを分析するための「専門的限定と社会的必要の概念表」である(4、5、7章)。
第3章では、イタイイタイ病問題、熊本水俣病問題、四日市喘息問題という三つの公害問題を取りあげ、行政が科学者に研究を委託し、その成果をもって政策決定を正当化する「科学委託」について、自律的・批判的に機能するための社会的条件を分析した。研究者が自主的に内容を決める「自主型」、行政が調査項目を特定して委託する「限定型」、既存知見をとりまとめる「審議型」の三つの類型に分けて分析した結果、当該領域の研究が進み、政策制度のなかに組み込まれていく「制度化」の段階に応じて、有効に機能する科学委託の類型が変わること、委託の姿勢だけ見せつつ対策を遅らせるためにあえて不適切な形態の委託がおこなわれたこと、科学委託が批判的に機能するかどうかは、自律的な研究活動をともなうかどうかにかかっていることなどが示された。本章の分析によって、科学委託の際の行政の姿勢について批判的に検討するための視座をえることができた。
第4章では、イタイイタイ病問題にしぼったうえで、科学委託が自律的・批判的に機能するための社会的条件について、研究者の動機構成とそれが問題の展開のなかで変遷していく過程に注目して分析した。環境問題を研究する動機は、委託動機(行政からの委託に応える)、学術動機(学術的な業績をあげる)、擁護動機(自らの既存業績を守る)、社会動機(社会に訴えかけ、社会を変革する)の四つに分けられ、これに政治忌避(政治的な争いごとを避ける)という研究しない動機づけが加わる。本章では、環境問題で科学が自律的・批判的に機能するには学術動機が必要であるが、それだけでは不十分であり、擁護動機や委託動機、社会動機と組みあわさって機能していることを明らかにした。
第5章では、環境運動が協力する研究者を集めて調査研究を進める「批判的科学ネットワーク」について、自律的・批判的に機能するための社会的条件を分析した。長良川河口堰問題を第一期と第二期に分けたうえで、なぜ第二期では批判的科学ネットワークが有効に機能するようになったのか分析した。批判的科学ネットワークにおける研究者の役割は、自らの専門分野に限って協力し、学術的業績をあげて運動の主張を裏づける「学術的研究者」と、自らの専門分野を越えて、運動上の必要に応じて幅広く研究活動をおこなう「運動側研究者」とに分けられる。第一期には委託研究・学術的研究者と、河口堰に反対する社会運動・運動側研究者とが乖離していたが、第二期には批判的な立場から調査研究を進め、それが学術的にも評価されうる社会的状況が成立し、多くの学術的研究者が批判的科学ネットワークに加わるようになった。こうした変化の要因としては、1)保全生態学の成立と生態系問題への社会的注目、2)環境運動のネットワーク志向化と科学との親和性、3)幅広い研究者が参加しやすい場の存在の三点があげられた。
第6章では、1990年代前半の長良川河口堰問題にしぼり、科学の自律性や制度化の段階といった条件の違いが批判的科学ネットワークの形成や当該分野での論争・対立にもたらす影響を分析した。分析の結果、これらの条件の違いによって、行政も運動側も調査研究に積極的な「探求型」、運動側が調査研究をもとに対策を訴える「課題提起型」、行政の専門知独占に対して運動側は外から批判するしかない「外部批判型」、対立が調査研究の進展につながらない「すれ違い型」という四つの対立の型が専門分野ごとに見られ、それぞれで科学と社会の相互作用のありようも異なっていた。行政と科学の結びつきが強く、批判的科学ネットワークの形成がむずかしい場合、運動側は当該領域の専門知を回避して議論を組み立てようとする。その結果、科学にもとづく決定を訴える行政とのあいだで、「テクノクラシーか市民参加か」という二項対立が争点となる。
第7章では、学術研究の課題設定と環境運動の目的が一致し、両者が利用しあって社会問題化していく「問題フレームの共用」が成立し、自律的・批判的に機能するための社会的条件について分析した。化学物質過敏症・シックハウス症候群の問題を取りあげ、関与した研究者たちをコレスポンデンス分析によって五つに分けたうえで、各グループについて研究課題と運動目的の一致/ずれ、その背後にある運動側・科学側の構造を分析した。過敏症問題では、北里大グループの研究の方向性と運動の目的が不確実性を媒介として一致して世論が盛りあがり、その後、制度化されるなかで両者のずれが拡大していった。注目すべきは、この問題の研究のなかに、不確実性を用いて社会に課題提起する「不確実性の生産」に加えて、シックハウス・化学物質過敏症を研究の前提として用いつつ、運動目的とは関連の低い研究を進める「不確実性の消費」型の研究活動が見られた点である。こうしたなかで、問題の焦点は環境運動が当初提起した「有機リン系農薬」の文脈から離れ、「室内空気汚染」の文脈で議論と対策が進んでいった。また、制度化されない部分が切り捨てられる「不確実性の切り捨て」が問題になった。環境問題の学術研究は、自らの研究関心に沿って問題フレームを水路づけ、もともとの出発点とは異なる方向へと曲げていく可能性をもつことが明らかになった。
第8章では事例分析でえられた知見を、科学-社会間相互作用の回路ごと、制度化の段階ごとに整理して十個の命題にまとめた。
本研究は、科学委託、批判的科学ネットワーク、問題フレームの共用という相互作用の各回路において科学の自律性が固有の役割をはたすこと、かといって科学の自律性だけではうまくいかず、社会の側からの働きかけが重要になることを明らかにしてきた。環境問題における科学の批判的役割を考える際には、自律的な研究活動と既定方針の批判が両立しやすいしくみを整えることと、自律性が十分でない状況でも批判性を担保できるしくみを整えることの両方が求められる。重要なのは、行政と運動が対等な立場で議論できるように、研究資源へのアクセスの不均衡を解消していくことである。科学委託が適切な形でおこなわれ、批判的科学ネットワークが十分に形成され、学術研究の方向性と環境運動の目的が乖離しないしくみをつくることで、環境問題のなかで科学と科学が対峙することが可能になり、科学と社会の相互作用をより問題解決に資するものにすることにつながると考える。