本論文は,韓国の慶尚道(Kjeongsang-do)方言のうち,慶尚南道(Kjeongsangnam-do)に位置する11の方言を取り上げ,アクセント特徴を記述し,その体系を明らかにすることを目的とする。取り上げたすべての方言のアクセント体系は,数の差はあるものの狭義のアクセントと語声調を兼ね備えていることを主張する。この性質の異なる2つアクセントは複合名詞のアクセント規則や用言の活用時のアクセントにも反映されることを論ずる。語声調は「形」のみによって区別されるとした従来の立場とは異なり,「形」以外に「位置」も弁別的であることを新たに提案する。

第2章の密陽方言は,体系全体が2音節語まではn+2,3音節語以上では2n-1の対立を成しており,性質の異なるアクセントが,複合名詞の規則や用言の活用形のアクセントにも反映されている。語声調の特徴は,位置が絡む「アクセント」的なものであることを論じる。
第3章の咸安・宜寧方言は,表層のアクセントと基底のアクセントが異なる。複合名詞の結合において,Xの性質の違い(アクセント核と語声調)を反映すると捉えられる例があり,表層では弁別されないものが基底では弁別を成していると解釈できる。その結果,基底アクセント体系は,2音節語まではn+2,3音節語以上では2n-1の対立を成している。
第4章は,進永(金海)方言・蔚山方言を扱い,そのアクセント体系について記述する。
進永方言は,2つの語声調とアクセント核型があり,n音節語にn+2の対立を成している。しかし,複合名詞の中にはXの性質の違いが反映されたと捉えられるものがあり,表層のアクセント体系と基底アクセント体系が異なる可能性がある。この点は更なる調査・研究が必要である。
蔚山方言は,1つの語声調とアクセント核型があり,全体はn音節語にn+1の対立を成している。
第5章の統営方言は,2つの語声調と有核型が共に存在する。Ⅹのアクセント性質が反映された複合名詞には表層では中和されて区別がないが,基底では弁別されるアクセント型があり,表層体系と基底体系が異なる。全体は,2音節語まではn+2,3音節語以上ではn+1の対立を成している。この方言の語声調は「形」にのみ弁別される「声調」的なものである。
第6章の釜山方言は,全体が2音節語まではn+2,3音節語以上ではn+1の対立を成している。2つのアクセント核型と語声調を共に持っているが,複合名詞のアクセント規則にはⅩのアクセントの性質の違いが反映されないものがある。これは,3音節語以上の語末核型の変化により,アクセント核型が少なくなったことに起因する。
第7章の晋州方言は,1つの有核型と3つの語声調が対立を成す体系である。第6章と同様に,有核型が1つしかないことにより,複合名詞のアクセント規則にXのアクセントの違いが反映されないものがある。
第8章は,泗川・南海島・山清方言を扱い,その体系について記述する。
泗川・南海島方言は,1つの有核型と3つの語声調が対立を成す体系である。
山清方言は,1つの有核型と2つの語声調が対立を成している。複合名詞のアクセント規則に異なるアクセントが反映されないものがあるが,それは有核型が1つしかないことに起因する。
第9章は,アクセント核と語声調について,従来の概念と慶尚南道方言においての解釈の相違点をまとめる。そして,本論文で扱ったすべての方言のアクセント体系や複合名詞のアクセント規則をもう一度提示し,アクセント核と語声調を兼ね備えていることや,異なるアクセント性質が複合名詞に反映されることを改めて主張する。

慶尚南道諸方言のアクセントを扱った今までの研究と本論文の大きな違いは,無核型がないこと,数の差はあるものの核と語声調が共に存在していることである。
アクセント核は,従来の概念とほぼ近いが,異質的なものまでを含んでいる上野説(N型アクセント)に対して,本稿では,異質なものを語声調として扱った。
語声調は,「形」のみが弁別的であり,「位置の対立」のないものと見る早田説とは異なり,語声調の相互の弁別には下降の「位置」が有効的と捉える点に大きな相違がある。
従来では,アクセント核(早田の‘狭義のアクセント’)と語声調は同一言語内の,同一の文法範疇の中で,共に存在することはないとするが(早田説),本論文は,取り上げたすべての方言が,対立数の差はあるものの,狭義のアクセントと語声調を兼ね備えていることを論証した。また,このアクセントの性質の違いは,複合名詞のアクセント規則や活用時のアクセントにも反映されていることを明らかにすることができた。