本論文の主題は、ヴァイマル共和国時代の群集(Masse)をめぐる言説の展開を、文学、思想、社会学、精神分析学などの言説ジャンルの境界を横断する視点から考察することである。このような領域横断的アプローチを採用することによって、本論文は主に次の二つの事柄を明らかにすることを目指している。第一に、本論文は、ヴァイマル共和国時代に生み出された群集を主題とする膨大な言説には、ジャンルや学問領域の違いにも関わらず、ある共通の理論的枠組み(パラダイム)が存在することを指摘し、さらにそのパラダイムが共和国の社会的状況の変化とも連動するかたちで二度にわたって変容することを示そうと試みている。また第二に、ヴァイマル共和国時代についての文学研究として、本論は、当時群集(Masse)というテーマを媒介として文学作品と同時代の他ジャンルの言説とのあいだに生じた多様かつ密接な諸連関を照らし出すことを目指している。本研究では、領域横断的アプローチによって、文学作品に限定された研究においては見逃されがちな当時の文学的実践の力学の一側面を明らかにすることが試みられる。
本論文が指摘するヴァイマル共和国時代の群集論におけるパラダイムの形成と変容は、概略的に述べると次のとおりである。
第一次世界大戦の敗北とドイツ革命に続く共和国初期の数年間には、群集をめぐる数多くの文学的・理論的言説が生み出された。それらの言説において主題となっていたのは、ドイツ革命の日々に出現したような革命的群集、すなわち、政党組織や軍の規律から離れて、自発的に政治的行動の主体へと自らを組織する群集であった。このような群集を対象とする言説は、とりわけ、群集体験の持つ忘我的・陶酔的な性格を強調し、忘我状態にある集団的主体の行動に秘められた可能性と限界を集中的に考察にした。本論文では、このタイプの言説を、「革命的・忘我的群集論」と定義し、分析を加えている。
それにたいして、1924年頃をひとつの分水嶺として、革命的・忘我的群集論とは異なる理論的枠組みに依拠する一連の言説が生み出されるようになる。本論文では、この新しいタイプの群集をめぐる言説を、そこで主題化されている群集の特徴にしたがって、「合理的・機能的大衆論」として考察している。共和国中期に支配的になるこの言説の背景には、相対的安定期に開花した大都市文化とマスメディアの経験がある。この新たなタイプの言説においてMasseという概念が指し示すのは、もはや政治的行動の主体として街頭に姿を現すような群集ではなく、大衆社会に特有の合理的・技術的な諸システム当時、そのようなシステムの代表例とみなされたのは、交通、メディア、電力のネットワークであったに媒介された存在としての大衆であった。それゆえ、合理的・機能的大衆論は、初期の言説とは対照的に、Masseを技術的合理性によって特徴づける。この大衆は、もはや集団としてある特定の空間に現前している必要はなく、むしろ現象形態としては拡散し、不可視になる傾向がある。
さらにヴァイマル共和国末期にいたって、群集論のパラダイムは再度、根底的な変容を蒙ることになる。本論文では、この変容を象徴する著作として、エルンスト・ユンガーの『労働者』を考察している。ユンガーの『労働者』は、単に先行する合理的・機能的大衆論の理論的布置に変容をもたらしただけではなく、それをヴァイマル共和国時代の群集論全体の理論的布置の解体を導くような仕方で遂行している。そこでは、ヴァイマル共和国時代の群集論にとって構成的な意味を持つ対立概念個人/群集(大衆)、社会/共同体、人間/技術などが、ことごとく解体され、無効となるのである。したがって、『労働者』が提示するヴァイマル共和国末期の理論的枠組みは、同時に群集論の解体をも意味していた。
本論文の構成は、ヴァイマル共和国時代の群集論の理論的枠組みとその変容に関する上述の見取り図にもとづいている。序論とフランス群集心理学のドイツにおける受容に焦点を合わせた章に続いて、群集論の三つのパラダイムが、それぞれ詳細に分析される。そのさい本研究では、文学作品と理論的言説との関係を具体的に考察するために、序論とユンガーを論じた章を除く各章の末尾において、そこで論じられた諸問題と密接な関係にある文学作品を取り上げ、それを群集表象分析の観点から分析している。
第一章ではまず、本論の対象となる群集について概念整理が行われる。ある共通の感情や志向によって結びついた人間集団としての群集(Masse)と単なる偶然的集積としての群衆(Menge)との区別、および、Masseの意味内容としての群集と大衆との区別が明確にされる。それに続いて、ドイツ語におけるMasseという概念の語源的含意と近代以前の意味内容が確認され、さらに、近代以後の概念史が簡潔に辿られる。ここで特に指摘されるのは、近代以後の群集をめぐる言説における、群集と言説と権力との密接な連関である。近代社会において、群集という主題が、差異と平準化をめぐる文化闘争のアリーナとして機能していたことが確認される。
第二章では、19世紀末にフランスで成立した群集心理学、とりわけ、ギュスターヴ・ル・ボンの理論のドイツにおける受容を考察する。すでに第一次世界大戦前にもジンメルらによって群集が論じられていたものの、ドイツにおいて群集論が大量に生み出されるようになるのは、ヴァイマル共和国になってからである。そして、当時の群集論にとって、ル・ボンの群集心理学が提出した諸命題は、避けて通れぬ論点を形作っていた。本章では、とりわけドイツ革命後に成立した革命的・忘我的群集論において、ル・ボンの理論がどのように読みかえられていったのかが考察される。この読みかえで問題になっていたのは、ル・ボンの理論に抗して、群集のうちに形成途上の行動の主体を認めることであった。これに対して、フロイトは一連の理論的決断によって革命的群集を思考することを拒否し、またル・ボンの理論の精緻化によって同時代の群集論から鋭く一線を画している。最後に、ヴァイマル共和国時代における群集心理学の代表的主題化としてトーマス・マンの「マリオと魔術師」が分析される。
第三章では、共和国初期に支配的であった革命的・忘我的群集論の諸特徴が考察される。ここで扱われるのは、テオドール・ガイガー、パウル・ティリヒなどの理論的著作とゲオルク・カイザー、エルンスト・トラー、ヘルマン・ブロッホの文学作品である。すでに述べたように、このタイプの群集論は、群集体験の核心を忘我的なものと見なしていたが、それにともなって、ル・ボンの群集心理学とは異なる指導者の概念忘我的指導者を提出した。また、そこでは革命的群集の運動は、機能分化した社会の解体と共同体への回帰を志向するものと理解されていた。さらにこの章では、フロイトの考察を参照しつつ群集と不気味なものと関連が考察される。そして最後に、忘我と群集をめぐる言説の密接な関連を示す特異な事例として、ヘルマン・ブロッホのエッセイと小説を考察する。そこでは忘我は対象である群集の特徴としてだけではなく、言説生産の力学をも規定しているのである。
第四章は、ヴァイマル共和国中期に前景化してくる合理的・機能的大衆論を分析する。ここで考察されるのは、ヘルムート・プレスナー、ハイデガー、ヤスパースなどの哲学者の言説、および、クラカウアー、デーブリーン、イルムガルト・コインなどの文学者の作品である。すでに述べたように、合理的・機能的大衆論が対象とするのは、機能的なシステムに媒介された存在としての大衆であるが、ヴァイマル共和国中期の言説は、このシステムを「交通」(Verkehr)という概念によって把握しようとしていた。本章では、まずジンメルによる大都市生活の考察を概観し、それが公共空間を「交通のシステム」と定義し、擁護するプレスナーの理論に受け継がれていることを確認する。そのうえで、上述の作家や思想家たちによる大衆の分析および表象が、「交通のシステム」との関連において考察される。最後に本章では、アルフレート・デーブリーンの『べルリン・アレクサンダー広場』における都市空間と大衆の表象が考察され、いかにして機能的存在としての大衆の空虚のうちに群集が新たな装いのもと回帰するのかが分析される。
第五章では、ユンガーの『労働者』が、ヴァイマル共和国時代の群集論の解体的再編成を提示する作品として考察される。本論はまず『労働者』における「形象」(Gestalt)の観照の方法論的基礎をなす立体視(Stereoskopie)の理論について考察し、さらに前章で考察された「交通のシステム」としての社会的空間の表象が、立体視的な視線のもとでどのように読みかえられているのかを明らかにする。また『労働者』では、ヴァイマル共和国時代の群集論を規定した概念的対立が、労働者の形象の全体性のもとで、ことごとく解体される。個人と群集(大衆)との対立は労働者の形象の代表としてのタイプ(Typus)によって、人間と技術との対立は有機的構成によって、そして、社会と共同体との対立は全体的な国家によって解体されるのである。そして、ヴァイマル共和国中期の言説が前提していた開かれた機能的システムとしての社会に代わって、厳格に階層化された位階秩序を持つ「労働世界」のビジョンが提出されることになる。個人と群集(大衆)の死を労働者の時代の前提とみなすユンガーの『労働者』において、ヴァイマル共和国の群集論は、いわば理論的な終着点に到達したのである。
最後に結論となる第六章では、本論文の探求によって得られた知見が要約され、特に重要ないくつかの主題について、通時的な観点から補足的な検討が加えられる。そのさい、Masseという主題が、ヴァイマル共和国の社会と文化を揺り動かした主要な諸問題と密接に結びついていることが、あらためて指摘される。Masseはまぎれもなく、ヴァイマル共和国の社会と文化における対立と抗争の焦点のひとつを形作っていたのである。