本論文は改革・開放の政策を実施した1980年代以降の現代中国社会におけるマルクス主義の社会認識の変容及び新たに生成されてきた社会認識に焦点を当て、その複合的な系譜と固有のメカニズムを明らかにすることを目的としている。
1980年代以降の現代中国においては、経済の自由化とりわけ市場メカニズムの導入に付随して生起した諸々の変動は単に短時間の中に圧縮されているのみならず、中国社会に固有の諸要素及び同時代のグローバル化によって大きく影響されている。歴史的及び比較社会的な複数の眼差しを用意することなしには、こうした言わば時間-空間の圧縮という社会の急速な変動を経験しつつある現代中国社会を十分に理解することはできない。社会の表面的な事象を見るだけでは、中国社会を社会たらしめるメカニズムの分析を立ち上げることはできない。また既存の概念装置に依存し過ぎると、中国社会に固有の性質を見失うことになる。いずれにしても、現代中国の社会をどのように認識すべきかが社会科学者にとって重要な研究課題として浮上している。そこで本論文は社会認識という統一的な視点と基準を設定し、そこから現代中国において生じてきた諸事象の根源を問わなくてはならないと考えている。
第一章では本論文における社会認識という用語の意味及び使い方を提示し、現代中国における社会認識の性格、それに対する研究方法、またそのために取り扱う資料の設定を論じている。本論文で用いる「社会認識」とは、経験的な事実としての人間の共同生活及び共同生活の中で形成した諸関係の様式の歴史、現状及び行方についての分析、把握、構想の言語化された表現の集合である。実際、「社会」を始めとする社会学の対象そのものを意味する概念が中国社会を観察する上でしばしば用いられている。本論文において社会認識という対象及び視点を新たに設定したのは、正にこうした言わば自己言及的説明構造に内在する困難に向かい合うためである。その困難は社会学的な自己認識の徹底化を通してこそ乗り越えることができると考える。また本章において知識社会学という研究プログラムの発展として、「知の社会学」の方法を規定している。それは、生産された社会についての語りが言説空間の中で増幅される一方で、関係の総体の中でそうした語りが具体的な社会的諸実践に結び付けられ、人間の共同生活を創り上げていくという言説のメカニズム踏まえた方法的実践である。具体的に知識人が作り上げた現代中国の言説空間という対象を設定している。
第二章では文革後の中国マルクス主義の再編成を中心に、中国社会についての語り方を規定する中国マルクス主義の言説に焦点を当て、「社会」を始めとする史的唯物論の中核的概念がどのように中国社会の実態と妥協できたのか(またできなかったのか)を分析した。史的唯物論という中国社会科学の真理体制は革命後の中国社会の特殊な文化的・政治的メカニズムであるが、1980年代以降、イデオロギー的性格を脱したと同時に、世界観と方法論としてのイメージを新たに打ち出し強化することとなった。この意味で中国マルクス主義は何よりも社会歴史についての理論であり、中国の社会発展にある種の理念や意味システムを与えている。史的唯物論という社会歴史の変動についての究極的な意味システムとして確立されているからこそ、中国マルクス主義者が経験的な社会・政治改革を通して中国社会を再組織し始めることが可能となったのである。したがって本章で検討した史的唯物論における「社会」、「国家」、「文化」をめぐる諸カテゴリーとその変容は、1980年代以降の社会再組織の実践において生成されてきた社会認識の素地でもある。
第三章では社会認識が存立する言説構造を解明するべく、現代中国における言説空間の編成と転換を分析した。本章の素材は中国の現代化をめぐる諸々の語りである。具体的に「革命」・「現代化」・「現代性」の言説を検討しつつ、現代化をめぐる理論が複数化しつつあること、その中で中国マルクス主義の相対化と再構成を描き出している。本論の視点からすれば、現代化についての語りの多様化は他でもなく社会認識の変容を意味しているのである。また本章では、現代化という言説が史的唯物論と中国社会の実態とを架橋する言説的回路であることを論証した。これらの論点は次の第四章、第五章と第六章の分析へと繋がっていく。
第四章では具体的に1990年代以降の中国の市民社会をめぐる言説を対象とし、市民社会論の分析を通して、「社会」というカテゴリーが如何に成立し、またどのように捉え直されていたのかを重点的に考察した。1990年代に入ってから「社会」の再組織の目標として、多くの中国知識人は「市民社会」の理念及び経験的モデルに訴えている。市民社会言説を通じて「社会」というカテゴリーは「国家」、「市場」、「個人」などのカテゴリーとの対比において、中国知識人に新たな社会認識の方法を与えている。この意味で「社会」は中国知識人を取り巻く経験的存在であると同時に、共同生活を対象化する優れた方法の一つとして中国知識人の視座構造に内蔵されていると言える。
第五章ではナショナリズムの言説群を分析の素材としている。市民社会言説の成立は単に「社会」のカテゴリーを浮かび上がらせているのみならず、従来自明視されてきた「国家」というカテゴリーの「社会的なもの」としての性格をも顕在化させている。「社会的なもの」としての国家と中国マルクス主義が構想した階級支配の道具としての国家イメージとの相違は明らかである。後者は共同生活の歴史的な組織様式としてではなく、「人類の解放」という倫理的目標に向けて社会を組織していた。しかし1990年代以降、共同生活の参与者としての「国家」イメージがナショナリズム言説によって創り出されつつある。諸々のナショナリズム的叙述が「中国」という国家の経験的・歴史的性格を浮き彫りにしているがゆえに、理念的・理想的な国家イメージは、一方では歴史的他者としての伝統中国、他方では同時代的他者としての他の諸生活共同体の主権的代弁者、と連関を持つことを余儀なくされている。但し、現代中国のナショナリズム論と、近代西欧に起源を持つ主権的な「国民国家」のナショナリズムとの相違に注目せねばならない。例えば、中国のナショナリズム論の中で古めかしい理念である「天下」が喚起しようとしているのは、主権的・政治的実体であるというよりも、むしろ共同生活=社会に固有の時間的及び空間的関係である。本章は共同生活に深く根を下ろしている経験的・理念的諸要素から「国家」の歴史的・同時代的なあり方に注目することの意義を明らかにしている。
第六章では儒学に関する諸々の言説を分析することを通して、中国マルクス主義的国家の「倫理的預言者」としての一部の役割が放逐された後に来るのはどのような社会であるのかを分析した。1990年代の中国における経済の成長とともに顕在化しつつある新旧の社会的・道徳的秩序の失墜と風化は様々な形で問題化されている。そうした中で伝統的倫理・道徳観念は市場社会の歪みを直す処方として提起されている。この意味で中国マルクス主義の正当性の基礎が社会主義・共産主義という目標から中国の伝統文化・伝統的社会理想へと転換されつつあるのは、近代的な「国民国家」やナショナリズムの論理に屈服しているというよりは、むしろ市場社会という現実との妥協の結果であると言える。興味深いことに、儒学の古典にある「小康社会」・「大同社会」が理想社会として確立されようとしているのである。その結果、1990年代以降の社会イメージの生成は中国的とされる儒家の文化伝統に大きく依存していると言える。
第七章では前述した社会認識の主体的要因を解明した。社会認識の主体である中国知識人が社会科学的知の蓄積の中で自分自身に外在する社会的世界を対象とし知的営為を行う一方、社会生活の諸側面を控え目にしようともせずに規範的に語っている。規範的に社会を語ることは当面の権力/知/真理の複合体としての真理体制における知識人の存立条件に他ならない。本章では、現代中国の社会認識における知識人を含む人間という主体に対する倫理的把握は多様な社会科学の概念装置を通じて社会認識それ自体に編入されているという知の生産を支える論理構造を明らかにしている。
社会が如何に可能になるのかという一般の社会認識の水準で捉え直せば、本論文で検討してきた中国社会の社会認識の経験的及び規範的含意が有する普遍的性格が明らかになる。すなわち共同生活の組織の一形式として、現代中国社会は他の社会と同様に、一方では伝統社会の歴史的・文化的構造を変更しながら受け継ぎ、他方では同時代の他の諸社会の制度的・文化的要素を取り入れて実質的に共同生活を組織していく。人間の共同生活こそ個別社会についての語りの普遍的意味――歴史的、主体的条件に関わらず理解可能な意味――を与えるものだからである。1980年代以前の旧社会主義体制の下で行われていた、ある種の理想社会に基づく「社会」の創出の実践・実験を振り返ってみると、むしろこうした一般論こそが20世紀末の中国に固有の社会認識であると言える。この意味では共同生活としての社会を可能にする理念的・経験的要素を問い続けることは、終わりなき課題である。20世紀の中国革命及び社会主義の実践は、理念的にも経験的にも今日の中国社会に無視できない影響を与え続けているからである。