本論文は、7世紀後半から8世紀の古アイルランド語の法律文書(古法文書)を中心的史料として、当時のアイルランドの裁判と紛争解決のあり方を可能な限り明らかにすることを課題としている。近年の初期中世アイルランド史においては、かつて一般的だった土着主義的歴史観への反動から、法や文化、社会におけるキリスト教の影響の深さを強調する議論が目立っている。古法文書についても、そうした研究の傾向は顕著である。従来の歴史像を大きく変えた近年の研究の意義は評価されるべきものであるが、議論が行き過ぎた側面や史料の解釈に問題もある。本稿が中心史料とする古法文書の成立過程や、裁判、紛争解決の考察においては、教会の影響は必ず考慮しなくてはならない要素である。裁判や紛争解決の史料として古法文書を用いるために、まず古法史料の性格、編纂過程について近年の研究を踏まえた再検討を行うことが不可欠である。
そこで本稿は全体を2部構成とし、第Ⅰ部を「法律文書をめぐって」と題して古法文書の抱える諸問題についての検討および古法文書の成立過程についての考察圧に当てた。第II部は「法と紛争解決に関わった人々」と題して、史料にそくして法文書編纂や裁判に関わった人々の役割や相互の関係について、具体的で詳細な検討を行った。その際には第Ⅰ部で得た結論が史料の解釈に反映していることは言うまでもない。以下、各章の内容について要旨を述べる。
第1章「問題の所在」では、まず最初に古法文書が作られた時代的背景の説明として、7世紀後半から8世紀頃のアイルランドの政治社会について概観を示した。次に、古法史料を含め、この時代の各種史料について残存状況や内容上の特徴などを整理した。その上で19世紀末から現在に至るまでの古法研究史を、主要な史料刊行や翻訳等を挙げながらまとめた。時代、史料、研究史について整理することで、現在の古法研究や古法史料が抱える問題点を明確にし、それを踏まえて本稿の課題となる問題の所在を提示した。第一点は、古法文書編纂の経緯、成立の過程について、近年の議論を踏まえて再検討することである。実際にどの程度キリスト教や教会の影響があったと言えるのか、視点を変えて評価しなおす必要がある。第二点目として、研究史の現状では研究が遅れている初期中世アイルランドの司法や立法などの制度、紛争解決のあり方について、新しい知見を得ることである。古法文書の編纂に関わった人々と、裁判や紛争解決に関わった人々はほぼ重なっており、編纂の経緯と文書の性格を明らかにすることで、史料の解釈にも新たな可能性が拓けると考えた。
第2章「古法史料の性格」では、古法史料の特色について、歴史史料としての価値や問題点も含めて考察した。まず7~8世紀アイルランドの法史料全体について類型別にその特色を整理した。アイルランドの状況と同じ時期の大陸やブリテン島の状況とを比較することで、残存史料に相当の偏りがあることや、大量の法文書が残るのに反して行政文書や証書などがなく、法文書における支配者の関与が低いアイルランドの特色が明確になった。また、古法史料が抱える問題として、傍証史料が少ないことや年代特定が難しいことなどが指摘できるが、その点を解決して古法史料を歴史史料として使用しうる可能性について、留意点も含めて考察した。
第3章「古法文書の成立過程」は、アイルランドにおける記述文化、写本文化の成立発展から古法文書の成立までを辿った。アイルランドの記述文化は本格的キリスト教化以前にオガム文字の発明と使用から始まり、ラテン語、やや遅れて古アイルランド語の記述が開始された。記述文化の開始後早い段階で多量の俗語文献が残っているのはアイルランドの特徴である。7世紀半ばという比較的早い段階で始まった古法文書の作成に関して、その契機や目的、文書作成の技術の出所等とともに、編纂者の出自や教養・学識等について法文書から読み取れる事実を検討し、古法文書の成立にどのような人物がどういう形で関与したのかを考察した。
以上が第1部の構成である。古法が抱える問題が全て解決されたわけではないが、古法文書の性格について明らかにすることで、史料としての可能性にも裏づけがなされたといえる。次いで第Ⅱ部では裁判と法文書編纂に関わった人々の個々の役割や相互の関係について、順次検討した。
第4章「世俗の裁判」では、世俗支配者、フィリ、判決人についてそれぞれが司法や法文書編纂において果たした役割を明らかにすることを目的としている。まず初めに、古法文書からわかる当時の裁判のプロセスや参加した人々について概観した。次に世俗支配者の立法司法における役割を史料にそくして論じた。この点については全く相反する諸説があるが、古法文書からは場合に応じて役割も変化していたことがうかがえた。ついでフィリ(詩人)について検討した。法におけるフィリの関わりはアイルランド独特ともいえるが、法と詩との密接な関係ゆえにフィリが法文書編纂に関わったことや、歴史や系図など過去の知識を伝承する役割をもつ知識人として高い地位と権威をもっていたことにより、王や司教と並んで象徴的な権威として裁判に参加したと考えられた。最後に法の専門家である判決人について検討した。その身分においては特権身分に属し、学識においては、キリスト教やラテン語など聖職者の教養と重なる部分もあるが、聖職者と一体化した知識人層であると断定できる根拠はないことがわかった。さらに判決人と王や支配者との関係、また判決人と教会の関係について考察した。判決人が法や紛争解決に常に関わり、重要な役割を果たしていることは間違いない。世俗支配者に仕え、教会とのある程度の関係も見られるが、しかし権力からの一定の自立性を持った身分層であったと考えられる。
第5章「世俗と教会」では、まず初めに教会法など教会側の史料をもとに、教会裁判と世俗の裁判の関係を教会がどのように捉えていたか、あるいは如何なる関係を望んでいたのかを考察した。その結果、7世紀までの教会は世俗社会全体との接触を嫌っていたこと、しかし7世紀末頃から姿勢が変化し、より積極的に世俗社会へもかかわるようになったことが、教会法や教会カーンといった史料から明らかになった。一方、古法文書の側から見ると、その姿勢には若干の幅があるものの、一般的には教会法および教会の裁判と、古法および世俗の裁判とは区別されるべきだと考えられていたようだ。古法文書では、教会法や聖書に対する「アイルランド人の法」という意識も強く見られる。そのなかで、教会法などを判決人が扱うとする文書も存在するが、そうした動きは7世紀末の教会側の変化に対応するものであった可能性も考えられる。全体として見れば、教会と世俗の関係には融和点も対立点も見られる。しかし古法文書には、とりたてて教会を排除するような傾向はない。伸張してくる教会勢力に対抗する判決人層という説は、根拠のないものといわざるを得ない。また、果たして聖俗の区別のない一体の知識人層が存在したのか、それとも世俗と教会はある程度の距離を置いていたのかという問題点についてであるが、古法におけるキリスト教の影響は基本的にキリスト教社会の知識人として判決人が身につけていたとしても当然であり、とくに聖俗の一体化の裏づけとはなり得ない。むしろ教会法と古法とは、内容においても、法を扱う人の面でも、依然としてはっきりとした相違を示している、という結論に達した。
第6章「結論と展望」では、第5章までの考察と議論に基づき、法史料から判明した7~8世紀アイルランドの裁判と紛争解決の制度について全体像をまとめた。
古法文書から見えてくる初期中世アイルランドの裁判や紛争解決のあり方は、ひとつの貫徹した制度では捉えられない、場に応じ人に応じて変りうるシステムである。王や司教が臨席するトゥアス全体の裁判がある一方で、王や支配者が関与せず、訴訟当事者と判決人によって解決される軽微な紛争もあった。政治の基本単位であるトゥアスがほとんど村程度の小さな規模であり、王権が相対的に弱く、統治制度と呼びうるものは非常に萌芽的なものしかない状況では、上から下まで首尾一貫した制度が出現することは考えにくい。既存研究では王の法的権力について多様な解釈が出されてきたが、極端な解釈の相違が生まれたのは、多様な実態を伝える古法文書から実際にはない画一的な制度を読み取ろうとしたことに起因すると言える。
初期中世のアイルランドは、統治制度、裁判制度とも未発達であるにもかかわらず、裁判や紛争解決が混乱したり破綻したりすることはなかったように見える。それは、裁判の拠りどころが原則として(臨時立法を除けば)古法という慣習法であり、人々の合意が得られやすかったことが大きな要因である。古法の知識を集積し、法と紛争解決のキーパーソンである判決人は、王権や教会と関係を保ちつつ、しかしある程度の自立性を保っていた。王権などの後ろ盾がなくても、判決人の身分に備わった権威によって、判決人の判決は効力を支えられていたと考えられる。
最後に今後の展望として、本稿で扱えなかった史料を今後研究に取り入れていくこと、また本稿では時代を7世紀後半から8世紀に絞ったために静態的な考察に終始し、歴史的変化を跡付けることはできなかったが、今後同じテーマを中世後期まで広げて考察することで、より理解が深まるものと考える。