一、問題意識と研究目的
近年、中国では反日感情が高まりを見せ、反日行動が頻発している。この背景を受けて、現在日本では、「中国人の日本人イメージは極めてネガティブなものであり、またそれは主として愛国主義教育を強化している中国の学校教育から影響を受けて形成されているもの」との認識が広がっている。しかしこれらの認識は、印象論に基づくものが多く、必ずしも実証的に検証されていないのが実情である。
一方、「中国人の対日イメージ」というテーマの重要性を見据え、それに着目した研究はこれまでにすでに多くなされて来ている。その基本的なアプローチは、主に二通りがある。ひとつは、最も多く使用されている、「世論調査」の実施により中国人の対日イメージの実態を把握するアプローチである。そしてもうひとつ、メディアや学校教育に見られる日本・日本人像に対する「内容分析」(質的内容分析がほとんど)を通して、中国人の対日イメージ形成に接近しようとするアプローチも、一部の研究で応用されている。この二つのアプローチはいずれも中国人の対日イメージの考察には重要不可欠だが、しかし両者の有機的な結合がない限り、対日イメージと形成要因との間の具体的関連を明らかにすることは不可能である。
このような「現実的要請」と「学問的要請」を受けて、本研究は「中国人の対日イメージが諸要因に影響を受けながら形成されていく具体的過程」にスポットライトを当て、「メディア」や「学校教育」に留まらず、「中国社会の伝統的日本人観」や「パーソナル・コミュニケーション」といった形成要因の影響をも視野に入れ、中国人の対日イメージ形成を全面的かつ系統的に捉えることを目的とする。

二、三つの作業仮説と二つの考察の重点
本研究は具体的な検証にあたり、ⅰ)中国人の日本人イメージは、たとえ反日的な要素が含まれているとしても、多様性がある;ⅱ)中国人の日本人イメージは学校教育だけでなく、様々な情報源に影響を受けながら形成されている;ⅲ)日本人認識の情報源が多様化する中で、若年層の間ではメディアの影響力が増大していると、三つの仮説を立てている。
また、本研究においては、次の二つの考察の重点を定めている。
まず、「日本」より「日本人」のイメージに考察の重点を置いた。「対日イメージ」には「日本イメージ」と「日本人イメージ」が含まれるが、両者は異なりつつも完全に切り離せない関係にある。本研究では、「国」に比べて「人」に対するイメージが人的交流にとって、より一層重大な意味を持つと考え、後者の「日本人イメージ」に考察の重点を置くことにした。
次に、「一般中国人」より「若い大学生」に考察の重点を置いた。これには二つの理由がある。第一の理由は、近年中国で起きた一連の反日騒動、とりわけ2005年日中関係を大きく揺るがした全国各地の反日デモでは、日中関係の未来を担う「若い大学生」が主体となっている。彼らが現在「反日」の中心となって、積極的な発言や行動をし、世論形成に大きな影響を与えているからである。第二の理由は、現在「反日」の元凶とされている「愛国主義教育」が中国で正式に制度化されたのは1990年代前半のことであり、いま18~25歳前後の「若い大学生」は正に「愛国主義教育」の下で育った世代に該当するからである。

三、枠組みと研究手法
本研究は「対外国・外国人イメージ形成」に関する社会心理学の諸理論を「中国人の日本人イメージ形成」の場合に適用し、中国人の日本人イメージは「中国社会の伝統的日本人観」「中国の学校教育(愛国主義教育)」「中国メディア」「パーソナル・コミュニケーション」といった四大規定要因に影響を受けながら、形成されていくものと考え、検証を進めた。
具体的な考察にあたり、中国人の日本人イメージの現状と構造を究明するために「質問紙調査」を実施し、調査結果に対して「量的分析」(第二章)を行ない、さらに四大規定要因の具体的影響を明らかにするための「質的分析」(第一、三、四、五章)を行なった。

四、具体的構成と考察結果
第一章では、近現代を中心に「中国社会の伝統的日本人観」を振り返り、中国人の日本人イメージについて歴史的な視点から捉えた。考察にあたり、近現代中国を切り開いた政治家・革命家・文学者の多くは清末・民国初期当時の日本留学生であり、彼らの日本人観が現代中国人に大きな影響を残したことから、これを中心に分析を展開した。
具体的には、まず清末・民国初期の日本留学ブームが発生した歴史的背景とその変遷を簡単に回顧した上で、当時の留学生たちによって書かれた留学日記(黄尊三『清国人日本留学日記』、周恩来『十九歳の東京日記』)と、文学作品(魯迅「藤野先生」、郁達夫「沈淪」)に対して内容分析を行ない、彼らの日本人観を探ってみた。次に、本研究のための質問紙調査で得られた実証的データをもとに、当時の留学生たちの日本人観が現代中国人に与える影響を分析した。
考察の結果、当時の中国人留学生が抱いた日本人イメージは、民族的偏見の強い「大多数の日本人」と、美しく優しい日本女性に象徴される、留学生の孤独と差別に疲労困憊した心を癒してくれる「一部の日本人」の二大要素から成っていたことが分かった。また、当時日本人の間では中国蔑視の風潮が蔓延しており、一方では、留学生自身も中華思想の残滓を完全に払拭できていなかった実態があった。その結果、両者の間では真の交流が実現できず、多くの中国人留学生は日本社会での差別経験から、日本人に対して単純な悪感情を持って中国に帰国していたことが明らかとなった。現在中国社会の反日感情の遠因として、清末・民国初期に来日した中国人留学生たちが日本社会から差別を受けて悪い対日感情を中国に持ち帰ったことと無関係ではない。ただし、彼らの筆になる「中国人に親切で民族偏見を持たない」藤野先生と、「美しく優しい」日本女性は、今でも中国の人々にとって理想的な先生像と女性像になっていることも特筆に値するところである。

第二章では、中国人の日本人イメージを現状と構造の二次元から把握するために、本研究のための質問紙調査(北京で大学生を対象に実施)の調査結果に対して量的分析を行なった。
具体的には、先行調査をレビューし、問題点を検討した上で、本調査の実施概要について整理し、調査結果に対して量的分析を行ない、中国人の日本人イメージの現状と構造を究明した。
考察の結果、中国人の日本人イメージは、「政治軸」と「文化軸」において想起しやすく、インパクトが強いことが分かった。「政治軸」の一部を成す「戦争イメージ」は依然として中国社会に根強く定着しているものの、もはや中国人の日本人イメージを語る上での唯一のイメージ次元ではなくなっている。それに対し、近年、芸能・アニメ・漫画・スポーツなど、幅広い分野に及ぶ日本大衆文化の中国現地での受容拡大に伴い、「文化軸」の重要性が高まっていることが明らかとなった。一方、構造的に見れば、中国人の日本人イメージは「勤勉性」「誠実性」「社交性」「先進性」「平等性」「開放性」「流行イノベータ」「伝統的日本人観」の8次元に及んでかなり分化していた。また、8次元でのイメージ評価は、「勤勉性」次元において最もポジティブで、「平等性」次元において最もネガティブとなっているが、全体としてネガティブからポジティブまで広く分布し、「多様化」していることが判明した。

第三章では、「中国の学校教育(愛国主義教育)」が中国人の日本人イメージ形成に与える影響を考察した。
具体的には、まず学校教育と愛国主義教育の関係および中国の教科書制度の概要を説明した上で、日本人関連情報の比較的多い「国語」「歴史」教科書と「愛国主義教育映画」に対して内容分析を行ない、そこに見る日本人像を探ってみた。続いて本研究のための質問紙調査で得られた実証的データを踏まえて、学校教育が人々の日本人イメージ形成にどんな影響を与えているのかを分析した。
考察の結果、中国の学校教育では、過去における日本の中国侵略は「近代帝国主義列強の中国侵略の一部分」として位置づけられていることが分かった。「抗日戦争」を中心に、帝国主義侵略の代表として日本の侵略行為が重点的に言及され前面化したのは、中国の近現代史の経緯から言えば、それが一番最近そして中国社会に最も深刻な被害を与えたものだからであり、さらに新中国建国は「抗日」の上に成り立っていることとも関連が深い。また、中国の学校教育では「社会主義的な階級論」が貫徹されているため、日本の中国侵略を巡る否定的描写は「一部の帝国主義支配者」を明確な標的としており、「大多数の日本人民」については、「資本家や帝国主義者などの支配階級と厳格に区別し、好意的に取り扱う」傾向が強かった。他方、中国の学校教育では日本の中国侵略が批判的に描写されているため、人々の日本人イメージ形成に対しては一定の負の影響は免れなかったが、「反日教育」と呼ばれるほどの「反日植え付け効果」は示されなかった。

第四章では、「中国メディア」が中国人の日本人イメージ形成に与える影響を考察した。
具体的には、まず中国メディアの構造・機能および改革開放後の変貌を概観した上で、本研究のための質問紙調査で得られたデータをもとに、メディア利用と日本人イメージ形成の関連を量的分析によって検証した。その上で、中国メディアが提供する日本関連コンテンツの具体的内容を、テレビ・新聞・書籍・インターネット・ラジオの五ジャンルから考察するとともに、人々の日本人イメージへの影響を分析した。
考察の結果、日本製のアニメをはじめ、漫画、映画・ドラマ、また中国現地の新聞、テレビ局の日本関連報道など、今日において中国人が日本人を知る上で「多様化したメディア」が最も広範な役割を果たしており、多くの次元において人々の日本人イメージに正負両面の影響を与えていることが明らかとなった。現在、新聞や地上波テレビなどの「従来のメディア」に加えて、ラジオの音楽番組、ファッション雑誌、多チャンネル化したケーブルテレビと衛星テレビ、さらにはインターネットも日本人を知る上で不可欠な手段となりつつある。また、全体的な傾向としては、従来の「中国製コンテンツ」に比べて、アニメ・映画・ドラマといった「日本製コンテンツ」の方が、中国人の日本人イメージ形成に対する重要性がより高くなっていることも示唆された。

第五章では、「パーソナル・コミュニケーション」が中国人の日本人イメージ形成に与える影響を考察した。
具体的には、ⅰ)「中国現地での中国人と日本人との接触」と、ⅱ)「日本での中国人留学生と日本人との接触」の二つの視点から分析した。ただし、中国国内では日常的に日本人と接触できる環境にいる人々はまだまだ一握りに過ぎないため、ここでは後者を中心に考察を行なった。また、この部分の考察では、本研究のための質問紙調査のほかに、筆者が2002年に在日中国人留学生を対象に実施した聞き取り調査の結果も生かされている。
考察の結果、中国国内において人々と日本人とのパーソナル・コミュニケーションはまだまだ表面的なものが多いが、しかしそれは確実に中国人の日本人イメージアップに寄与していることが分かった。他方、日本国内では、中国人留学生は来日後も同胞たちに囲まれながら生活しており、日本人とのパーソナル・コミュニケーションは挨拶程度、さらに踏み込んでも日常的な付き合い程度に留まっている実態が明らかになった。この背景には、日中間の「歴史の壁」や「文化の壁」、留学生側の「日本語能力の不足」と「異文化交流意欲の欠如」があり、また日本人側の「排他的・差別的な態度」も重要な阻害要因のひとつとなっている。これが留学生たちの日本人イメージに黒い影を落とし、「差別的」「排他的」が彼らが日本人に対して持つ最大のネガティブイメージとして定着しており、さらには日本留学経験者による「留学生文学」などを通じて、中国国内にも悪影響を及ぼしている。

五、結論と今後の課題
以上、質問紙調査の調査結果に対する量的分析(第二章)と、中国人の日本人イメージの四大規定要因と思われる「中国社会の伝統的日本人観」「中国の学校教育(愛国主義教育)」「中国メディア」「パーソナル・コミュニケーション」に対する質的分析(第一、三、四、五章)を以って検証を進めた結果、本研究の出発点となった三つの仮説はいずれも支持されたと結論づけられる。
今後の研究では、サンプリングの学歴差・世代差・地域差を克服した量的分析と、今回量的分析と質的分析の結果に見られた一部の食い違いに対する、聞き取り調査や映像実験など具体性の高い研究手法による再検証を中心的課題としたい。そのほか、新しい課題として、中国人の「日本人全体像と日本女性像」「対日イメージと対米イメージ」、そして「中国人の日本人イメージと日本人の中国人イメージ」の三つのテーマに関する比較研究にも積極的に取り組んでいきたい。