本論は、英領期マラヤにおける植民地行政の分析を通じて「マレー人」という概念の成立の歴史的過程の解明を試みるものである。
そのため、本論では英領マラヤを構成した一州であるスランゴルをとりあげ、植民地当局と在地社会の相互作用を通じて在地社会の在り方とその変容を描く。特に、地方行政に焦点をあて、そこでマレー人の位置づけを検討するとともに、植民地当局に対して在地社会が見せた働きかけを検討する。そして、前植民地期から移民の比率の高い地域であったスランゴルの事例を通じて、行政的にはマレー人とされた移民(マレー系移民)の果たした歴史的な役割を検証する。
ムラユ世界の周縁地域であったスランゴルでは人口の移動性が高く、植民地化の時点で多様な移民集団がそれぞれの首長を有していた。彼らはイギリス当局に対しても首長を公認するよう働きかけた。イギリスの人種概念のなかでは、マレー人とは地元ムラユ人のみならずマレー諸島出自の人びとを指す概念でもあった。イギリス政庁もスランゴルの現地人が複数の移民集団からなっていることを認識し、彼らを現地人首長とすることで定着人口を増やすことを試みた。
20世紀にはいると、マレー人概念にはマラヤの現地人としての土着性が投影され、それが政策に適用されるようになった。スランゴルにおいてもプンフルは現地生まれの人物が優先的に登用されるようになる。一方で、移民二世はマレー人としての特権を享受することが可能であり、彼らは移民としての出自意識を保持しながらマレー人としての土着性を獲得していった。スランゴルの移民集団は自らの首長を保持したが、彼らはマレー人であるプンフルの統制化に置かれ、結果的にマレー人という枠組みへと収斂していった。
イギリスが概念化したマレー人という枠組みに対して、政策枠組みから外れた人びと(外来マレー人)は積極的な働きかけを行った。スランゴルのマレー人とは、こうした不断の移民の流入と定着の過程を経て、移民を取り込むことで成立した。イギリスは州という領域的枠組みが持ち込み、土着性をもった概念としてマレー人を定義したが、一方で移民の存在を無視することはできず、彼らを取り込む形でマレー人の輪郭が形成された。行政におけるマレー人という枠組みは、こうした地方レベルでの植民地当局と在地社会の相互作用を通じて形成されたものである。
マレー人概念は政策のなかで重要な位置を占めており、植民地当局と在地社会の双方の意見が交錯する場となっていた。移民が重要な役割を果たしたスランゴルの事例は、マレー人社会の移動的な要素が領域的、定着的な植民地支配下でいかなる変化をみせたかを分析する材料となる。移動的な社会が定着し、領域的枠組みが成立したことが植民地期の根源的な変化の一つである。マレー人枠組みの形成過程は、植民地統治を通じた社会の変化を映しだしている。
このスランゴルの社会のあり方は、土地に比して人口が稀少であったマレー半島地域においては程度の差はあれ共有されていたと思われる。複数の集団が権力とそれぞれに関係を結ぶことで不均質な社会が形成される構造を複合社会的構造とするならば、前植民地期から脱植民地化の時期に至るまでこの地域の歴史のなかで、複合社会的構造はひとつの共通性を持っていた。複合社会という概念は植民地の遺産として強調されがちであるが、その社会の持つ多様性は植民地期を越えた歴史的文脈に位置づける必要がある。「マレー人」というあいまいな枠組みは、マレー半島の社会が生み出した歴史的な産物であるといえるのではなかろうか。