18世紀ロシア史において、1725年1月のピョートル1世の死から1762年6月のエカチェリーナ2世の即位までの時期は、「宮廷クーデタの時代」と称されるなど、前後の改革の時代とは対照的な「停滞」あるいは「反動」の時期として否定的に評価されがちであり、とりわけ欧米史学においては研究関心自体も乏しい傾向を見せている。このように「宮廷クーデタの時代」を前後の時期とあたかも断絶したものと見なす視点については、近年ロシア人研究者А.Б.カメーンスキーが批判的な見解を示し、18世紀ロシア史全体を一貫性のもとで捉える立場を提唱してはいるが、こうした見解を裏付けるような実証研究はいまだ十分とは言えない。そこで本稿の目的の一つは、ピョートル1世の直後に続くエカチェリーナ1世時代(1725-27年)の実態分析を通じ、「宮廷クーデタの時代」が18世紀ロシア帝国の統治構造の性格を定める上で有した積極的な意義について再検討することにある。
従来「宮廷クーデタの時代」を批判する際の根拠とされてきたのが、①ピョートル改革の成果の放棄あるいは逸脱、②君主の個人的能力の低下に伴う「サマデルジャーヴィエ(絶対君主による支配体制)」の弱体化、③寵臣の跋扈による政府の混乱や国益の侵害、などである。この②の論点と関連するが、サマデルジャーヴィエの最大の対抗勢力と目されることもある貴族エリート層の実態を分析し、彼らと皇帝権力との関係が18世紀ロシア帝国の統治構造にいかなる性格を与えたか考察することが、本稿の第2の目的となる。
①について検討するには、まずロシア史におけるピョートル改革の意義を確認する必要がある。個別の議論はあるにせよ、この改革が総体としてはロシア社会を大きく変質させたことは疑いない。特に顕著なのは君主権力の「権威」の側面における変化であり、国家儀礼や表象は以前とは大きく異なるものとなった。また制度化・画一化の推進、「紀律国家」の追求なども目立つ特徴である。ただしこれらは前もって準備された綱領に従って実現されたわけではない。その時々の周囲の状況に左右されており、中でも1721年の北方戦争の終結は本来大きな転換点となるはずであった。しかし1725年のピョートルの死により、戦時体制から平時体制への移行は十分に果たされず、多くの課題が後世に残されたのである。
直後のエカチェリーナ1世政府による国内・対外政策の全般的傾向を見ると、この政府がまさにピョートル改革を継承し、それらの課題にも積極的に対応したことが分かる。まず初期の1725年の段階では、ピョートルの死により中断された諸事業の完成が中心を占めていたが、すでにこの時期から改革の問題点を認識し、修正を意図する動きが萌芽していた。こうした機運は1726年に本格化し、俸給システムの一部改変、近衛連隊の大規模な再編、そして最高枢密院に属する最上層の高官による改革修正案の準備などが見られることとなった。これらはピョートル改革の方向性を堅持すると共に、ロシア社会の実態に即した修正を追求する姿勢を明示しており、①のような批判を否定するものとなっている。
最高枢密院の設立過程や実際の活動に見られる、最上層の高官達による女帝への協調の姿勢は、②の批判にも疑問を投げかける。女帝個人の資質とは別に「制度としての君主権力」は依然強固であり、それは、③の論点からすれば批判されるべき「寵臣」メーンシコフ公爵の働きによっても日常的に補完される性格を見せていた。またそれにもまして中下層の勤務層は、皇帝権力に対し依存的な姿勢を示した。彼らには、17世紀貴族層と比較して、集団による身分的特権の確立や制度変革に関する意識が乏しく、個別に罪の赦免、財政状態や勤務環境の改善を要請する傾向が強い点を特徴としている。多くの嘆願書で根拠とされたのも、皇帝政府の法令、そして国家および宮廷に対する自身の勤務であり、逆に言えば、それら以外に彼らは皇帝権力に働きかける際の有効な論拠を持たなかった。
制度化を推進する政府の立場からすれば、例えば俸給制度の不備を原因として嘆願が頻出する事態は本来望ましくないはずである。しかしその一方で嘆願という回路には皇帝と臣下・臣民との凝集性を高める働きもあり、皇帝政府も勤務層からの要望に一定の配慮を示した。ただしその際に最も優遇されたのは近衛連隊、宮廷勤務者といった皇帝に近い位置にある者達であり、これは皇帝への近接性の意義を高めたと考えられる。
こうした皇帝権力と貴族層との間の協調および強固な凝集力を大きな特徴とするロシアのサマデルジャーヴィエは、エカチェリーナ1世の治世において「制度としての君主権力」を核とする形に変化しつつも、安定的に機能し続けたと言える。それは、ピョートル改革の方向性を維持しつつ平時体制を意識した修正を図る姿勢と共に、その後エカチェリーナ2世の即位時まで共通する統治構造の起点をなし、ロシアの大国化に寄与したのである。