古典期アテーナイの史料は贈収賄言説に満ちている。収賄を指摘される者は、賄賂提供に見合う、何らかの影響力、権力を行使し得る存在ということになろう。平等主義、アマチュアリズムの理念が保持されたアテーナイ民主政において、如何なる存在が、如何なる状況に於いて、そのような「権力者」と看做されていたのだろうか。また、4世紀のアテーナイ民主政に於いて、賄賂が指摘されるのには、具体的に如何なる背景があり、それは如何に機能していたのであろうか。
5世紀末以降、アテーナイ民主政は公職者に対して賄賂防止制度の整備に務め、知識人もまた一般公職者による収賄には厳しい目を向けていた。対照的に、市民一般を聴衆とする弁論に於いては、概して、一般公職者による収賄が非難されることが稀であった。こうした状況は、権力分散を指向した公職者制度の効果に還元できると同時に、公職を担う層が、社会の下層にまで及ぶことにより、一般公職者が、市民一般とアイデンティティを共有する存在となっており、権力者と認識されるような状況にはなかったことによる。すなわち、一般公職者に対する収賄非難の少なさは、一面で、行政機構に対する市民参加が広範な社会層に及んでいた、当時の政治社会状況の表れでもあった。
アテーナイの外交交渉は、ギリシアに古来より浸透していた外交上の政治文化に従い、政治家と海外の使節、要人とが個人的に、直接折衝を持つ、私的紐帯に基づく個人的な事前折衝が行なわれていた。それは政治家による意見陳述と公開討論に依拠した意思決定システムを採用する民主政アテーナイに於いて、疑念に曝される事となった。さらに、共同体の枠組みを超越した私的紐帯は、かつては、貴族、君主間で形成されていたが、4世紀のアテーナイでは、もはや伝統的な家柄ではなく、新興の富裕層、或は上層以外の市民によって担われていた。この為、海外との私的紐帯はその対称性を失い、政治家の他国君主、要人への従属、そして収賄の疑惑を生む一要素となった。すなわち、外交に関わる政治家に収賄言説が頻出していたのは、伝統的な私的紐帯に基づく対外交渉文化と政治家の意見陳述に依拠したアテーナイ民主政の共存、さらに政治家層の変質の表れであった。
アテーナイ国内では、しばしば、富裕者や有力政治家たちから経済的支援、政治的後見を受けて、中下層市民などが、その返報として、彼らの意向に沿う政治活動に従事していた。これらは所謂パトロネジ関係と看做す事ができる。有力政治家はこうした関係を政治活動に利用し、民主政の政策決定過程の中で有効に機能させていた。政治家間のアゴーンを通じて為される意思決定システムの下では、下位者を利用することで、有力者にとっては政治闘争に伴う負担を回避することにも繋がり、同時に、意見の応酬そのものは、むしろ活性化させることにも繋がっていた。国内の政治活動に関する賄賂非難の一部は、パトロネジ関係を利用した政治文化が機能していたことの表れであったと考えられる。
史料中、収賄非難が最も集中し、それだけの権力を行使しうる存在として懸念されていたのは、「政治家」であった。古典期アテーナイの民主政は、政治家による民会や法廷での意見陳述に基づいて、市民団が最終的な意思決定を下した。それ故、政治家による公開討論の場での意見陳述は国政に大きな意味を持ち、発言者には公益の為の二念なき正しい意見の呈示が期待されていた。
その一方では、私的な紐帯に基づく政治家間の個人的な交渉が政治文化として存在していた。対外交渉は、ギリシアに伝統的な外交文化に従って、政治家と外国勢力との私的な紐帯に基づいて行なわれていた。国内でも、有力者らがパトロネジ関係を形成し、民会や法廷に於いて利用していた。こうした政治家間の私的紐帯は、有効な機能を有していた一方、発言の公正さ、公益性に疑念が生じさせることにもなった。更にこうした関係は、非対称性を伴うものであった。海外の君主や要人との私的な交渉は、政治家層の変動と共に、新興の富裕層によって担われていた。国内の政治に於いても、中下層民などが、有力者とパトロネジ関係を結び、政治活動に従事していた。その為、その政治活動は、公益よりも、従属的関係を優先するものとも看做されたであろう。互酬的な関係は、従属的関係として、収賄の上での政治行動として非難されることになった。
すなわち、収賄の上、贈賄者の意向に従った政治活動をすることに対して、非難の言説が頻出する背景には、政治家たちが国内外に私的紐帯を有し、互いに私的に接触、交渉する政治文化と、表舞台での誠実な意見陳述を要求するアテーナイ民主政とが共存している構造があったと同時に、4世紀のアテーナイの政治の舞台に新たな社会層が参与していった、ダイナミズムの裏返しであったとも理解できる。