フセヴォロド・ヴャチェスラーヴォヴィッチ・イヴァーノフの長編小説『クレムリン』(1930)と『ウ』(1933)は、イデオロギー統制という政治的な原因により1980年代になるまで出版されなかった作品である。そのため、従来イヴァーノフは、中編小説『パルチザンたち』(1921)、『装甲列車14-69号』(1922)等の初期作品によってのみ評価されることが多かった。本論文では、未だ本格的な研究のない『クレムリン』と『ウ』を分析して、1920年代前半に書かれた初期作品とは異なる作品世界を明らかにし、文学史上のイヴァーノフの位置を再検討することを課題とした。また、作者がつながりのあるものとして構想したこの2つの長編小説の共通点を明らかにすることも課題とした。
イヴァーノフの初期作品は文学史上「装飾的散文」という、文体に意匠を凝らした散文に位置づけられる。しかし、イヴァーノフは1920年代後半から作風の転換を図り、文体の装飾よりも、人間の心理という問題を中心に扱うようになる。作品において人間の心理に焦点をあてたことは、伝統への回帰を意味すると同時に、1920年代に影響力を誇っていた思想家フロイトの影響が考えられる。
1925年から1927年にかけて執筆された短編を集めた『秘中の秘』は、『クレムリン』、『ウ』の前段階となる作品である。この短編集には、個人のエゴイスティックな本能が浄化されて一種の「全一」態が達成されるという思想を描いた作品が存在する。このような「全一」の思想には、思想家フョードロフ、ソロヴィヨフ、そして部分的にベルクソンの影響が考えられる。また、このような思想は象徴という手法によって表現されている。
心理を変革することによって誕生する「新しい人間」というテーマと、それを表す象徴という手法は、このように『秘中の秘』で登場し、『クレムリン』、『ウ』へと引き継がれる。『クレムリン』ではこのテーマが、2種類の「騎士」のイメージによって示されている。『クレムリン』には聖ゲオルギーの竜退治という紋章と、熊に乗った人間の紋章という2つの紋章が登場する。このうち、聖ゲオルギーの紋章がエゴイスティックな個人の自我を象徴し、熊の紋章が共同体的愛を象徴している。
一方、『ウ』では「アメリカの皇帝」の王冠、そして王冠の相似物である救世主キリスト寺院のドームという2種類の「王冠」が登場する。このうち、「アメリカの皇帝」の王冠がエゴイスティックな個人の自我を、救世主キリスト寺院のドームが共同体的精神を象徴している。
このように、作品の中に2つのイメージを配置し、1つにエゴイスティックな個人の自我を象徴させ、もう1つに共同体的精神を象徴させるという手法を用いたという点で『クレムリン』と『ウ』は共通している。
また、『クレムリン』と『ウ』では共に、「新しい人間」というテーマに絡んで、性の本能を浄化して、エゴイズムを克服し「全一」態を達成する、という思想が表現されている。同時に、ロシアのこのような「新しい人間」は、西欧の「新しい人間」のヴァリエーションである、という思想も2作品で共通して表現されている。
『クレムリン』と『ウ』が初期作品とはどのように異なるか、という問題に関しては次の点が挙げられる。人間の深層心理に焦点をあて、人間の精神世界を象徴によって表現した、という点で、この2作品は初期作品と比較し、象徴主義の伝統に近づいているといえる。