本論文は,インド正統バラモン系の論理学派(ニヤーヤ学派)が提唱する「〈真〉の他律説」と呼ばれる学説を広く対象とし,古典期からウダヤナ(11世紀)に至るまでの,論理学派の〈真〉の他律説の展開を跡づけながら,この学説が,ヴェーダ聖典の権威論証や主宰神の存在論証と連関していく過程を解明する.
インドの各哲学学派は,それぞれ初期の段階から,人生の目的遂行に不可欠と見なされる「真知(正しい認識)」の獲得手段の探究を重視する傾向がある.
当初,真知の獲得手段の探求というこの問題は,ヴェーダ聖典や仏教聖典が語る超経験的な宗教的真理の獲得を主眼として論じられていたが,時代を下るにつれ,徐々に日常的な認識の真偽にも一般化して論じられるようになる.
具体的には,「認識の正しさ」を意味する〈真〉(プラーマーニャ)という概念を中心として,(1)認識が持つ〈真〉とは何か(〈真〉の定義)(2)認識発生の際に〈真〉を決定する要因は何か(〈真〉の発生要因)(3)認識の〈真〉はいかにして検証されるのか(〈真〉の検証方法)という3点が論究されており,学派毎に様々な理論が提示されるようになる.
そして,これらの3問題は,後に「真知論(プラーマーニャ・ヴァーダ)」と呼ばれる認識論上の一大論題を構成することになる.
本論文では,まず,古典論理学派の〈真〉の他律説の思想史研究として,〈真〉の他律説が抱える諸問題を各論師がどのように解決しているのか,各論師の見解の特徴を明らかにしながら,この学説の形成過程を描出する.
また,古典期においては,主宰神論との連関性を持たなかった〈真〉の他律説が,ウダヤナにより,主宰神の証明論証に援用されている点を解明すべく,〈真〉の他律説が展開されるウダヤナの主著『ニヤーヤ・クスマ・アンジャリ(一掬の論理の花)』の原典研究を通して,ウダヤナの主宰神論の一端を解明する.
また,『ニヤーヤ・クスマ・アンジャリ』のテキストについては,いずれの先行出版も問題点が指摘されていることを踏まえ,原典研究に際し,3本の写本を用いて従来の刊行テキストを批判校訂しながら訳出した.
本研究の結論を簡潔に以下に記す.
・古典論理学派の諸論師は,ヴェーダ聖典の権威論証とヴェーダ祭式の執行促進を主眼として,〈真〉の他律説を形成してきた.
・それに対してウダヤナの〈真〉の他律説は,主宰神やその全知性が直接言及するわけではないものの,ヴェーダ作者としての全知なる主宰神の存在論証の一端を担っている.
・一方,〈真〉の定義を論じる箇所では,積極的に主宰神の全知性を論証し,伝統的認識論に準拠しながらも,その枠組みの中に主宰神を取り込んでいる.