本論文では、ペルシア語新史料『歴史の精華』第三巻と、グルジア語史料という、先行研究では用いられていなかった史料等に基づき、サファヴィー朝のゴラームの活動を明らかにした。そして、先行研究を規定してきた奴隷軍人論と国民国家史観を乗り越えるべく、サファヴィー朝宮廷秩序再編と、コーカサス・フロンティアにおける地域秩序の変動が相互に結びついた事象であったことに着目し、サファヴィー朝の政治体制変革において、ゴラームが果たした役割について具体的に論じた。本稿で得られた考察は、以下の通りである。
アッバース一世は、王朝初期から存在していた遊牧国家体制変革の流れを引継ぎ、王権の拡張を目的として、グルジア、アルメニア、チェルケス人といったコーカサス出身者を積極的に登用した。コーカサス出身者は戦争捕虜、貢納、亡命、人質、政略結婚、強制移住など、様々な経緯でサファヴィー朝権力の核心部分に流入していったが、いずれもシャーの宮廷の構成員であり、直接支配下におかれる従属民に転じたのであった。そして、その中からシャーに忠誠を誓う改宗エリートが、新たな宮廷エリート集団ゴラームとして組織されていった。
こうした宮廷権力強化の動きは、序列の固定化に見られる宮廷内秩序の制度的確立、さらには全国土をシャーとその宮廷の権威が覆っていく過程と並行していた。すなわち、宮廷がシャーの個人的業務の執行機関からより公的な色彩を帯び、シャーの個人的従者としてのゴラームが国家体制全体に奉仕する存在へと変化したのである。このように、アッバース一世の改革は、シャーの個人的な所有物である宮廷が支配機構の中核となり、また、宮廷で要職を務め、シャーの側で奉仕する者たちがその恩恵を最大限に受けることができるよう支配体制を変化させていった。シャーは、様々な縁故・利害関係で結びついた人間集団のバランスの上に乗り、自らを頂点とするピラミッド型の支配形式ではあるが、その最大の権力の源は調停者としての役割であったと推測される。
アッバースの政策の特徴は、コーカサス出身者を、彼らの出自を生かした形で宮廷の従属民として抱え込もうとした点にある。従来の説明とは異なり、アッバースは自らの政治的意図に反しない限り、むしろゴラームの持っていた地縁・血縁を積極的に利用し、時には自らの主導で新たな関係を取り結ばせながら宮廷に取り込んでいった。コーカサスを軸に王朝の対外政策と対内政策のダイナミズムが重なり合う中、宮廷と直結するコーカサス出身者は、集団の社会的絆、アイデンティティー、ネットワークを残したまま、宮廷に統合されていった。つまり、社会的・個人的紐帯が王朝によって認識・活用されることによって、出自に由来する絆は維持ないし更新されたのである。
コーカサス出身者が、その出自や社会的階層に基づいてサファヴィー朝宮廷で活動したことにより、現地の社会秩序が、そのままサファヴィー朝宮廷に持ち込まれたかのようにもみえる。こうした「相互依存」的な関係は、従来の征服・被征服という二項対立、あるいは、主人と奴隷といった「枠」を設定した見方では捉えることが決して出来なかったサファヴィー朝のゴラーム制度の知られざる一面である。
他方、サファヴィー朝社会の新規参入者として、コーカサス人のアイデンティティーは、出身地とは異なり常に流動的な状況に曝された。ゴラーム制度は、「二重の周縁性」に多くを依っていたが、サファヴィー朝とコーカサス域内政治が相互依存の関係を強める一方、逆に現地エリートは、その自意識を高めて、王朝から離反していった。サファヴィー朝は、コーカサス現地の社会秩序を飲み込み、強力な支配力を手にしたが、最終的には、その源であった周縁の「不安定さ」に足元をすくわれる形になったのである。
以上のように、本稿では、ゴラームの活動を追うことにより、サファヴィー朝によるコーカサス・フロンティア地域包摂とコーカサス人統合の歴史的意味を明らかにした。