本論はユルゲン・ハーバーマス(JurgenHabermas)の社会理論を取り上げその解明を目指す。ハーバーマスは、『公共性の構造転換』を1962年に刊行したのを皮切りに、体系的な社会理論の構築に注力している。本論は、半世紀近くの長期にわたって展開されている、このハーバーマス社会理論を一貫して〈市民社会〉――近代的市民社会論が対象とした政治的支配から解放された非国家的な社会――をテーマにしたものとして読み解くことを試みる。
ハーバーマスの社会理論が〈市民社会〉をテーマにしていることは、既存のハーバーマス研究においても、すでに少なからず指摘されている。しかし、これまでのところ、それらの指摘は、ハーバーマス社会理論の展開全体を視野に収めていなかったり、あるいは理論構造のレベルにまで掘り下げて分析していなかったりしており、不十分なままにとどまっている。本論はまさに、半世紀近くの長期にわたる、ハーバーマス社会理論の展開全体を視野に収めながら、理論構造のレベルに掘り下げた分析を試みる点に、その意義を主張することができるであろう。
本論は、とくにつぎの3点を明らかにすることを目指す。第一に、ハーバーマスは、ヘーゲルを頂点とする近代的市民社会論をラディカルに再編する諸主張を展開していること。近代的市民社会論では通常、〈市民社会〉は経済社会とされる。そして、〈市民社会〉には、せいぜい相対的な重要性しか認められないとされる。例えば、ヘーゲルは、〈市民社会〉は「自由」の実現へと向かう世界史的過程の途上にあるとするのである。また、ここから、近代的市民社会論では通常、〈市民社会〉の危機を克服するのではなく、〈市民社会〉それ自体を解体してしまうことで、それを解消することが志向される。対照的に、ハーバーマスは、〈市民社会〉を非経済社会として、それに重要性を認め、その危機の克服を目指しているのである。第二に、このような諸主張を展開するハーバーマスの〈市民社会〉論は、カント的と形容しうる二元論的構成をとる、社会進化論および法理論を基礎に据えることで構造化されていること。第三に、この基礎に据えられた社会進化論および法理論には、とくにその二元論的構成に起因する困難が内包されていること、である。