序章―南北朝期の国家体制―
序章では、本稿の内容が研究史上どのような意義を持つものであるのか確認するため、本稿が主として取扱う「南北朝期」の「寺社勢力」及び「京都」に関わる先行研究を整理し、そこから見えてくる課題を指摘した。

第1篇南北朝期の山門・祇園社と室町幕府
第1部 南北朝期における山門・祇園社の本末関係と京都支配
ここでは、門前・境内を通じ都市空間を構成する重要な場であったとされる中世寺社と都市との具体的関係を探るため、中世京都の祇園社の支配構造について分析した。その結果、祇園社の組織及び社領支配のあり方に、山門(延暦寺)との本末関係が強く反映されていること、本寺山門にとって祇園社との関係が、京都を支配する上で非常に重要な意味を持っていたこと、などの点が明らかとなった。

第2部南北朝期京都における領域確定の構造―祇園社を例として―
ここでは、第1部で明らかにした祇園社の組織と社領支配の形態が、至徳2年以後、次第に本寺山門の支配を排除する体制へと変化していくことを明らかにした。そしてその背景に、祈禱を通じての、祇園執行と室町幕府将軍との密接な関係があったこと、室町幕府による京都市政権の掌握という状況下にあって両者の関係がより密接になっていったこと、などの点を明らかにした。

第3部中世犬神人の存在形態
ここでは、これまで明らかにした、山門・祇園社の本末関係及び京都支配の展開を体現する存在である犬神人について分析した。具体的には、①清水坂非人が「犬神人」として寺社権門支配の対象となる契機、②本末関係で結ばれた山門・祇園社の支配機構の中における犬神人の役割、③寺社権門支配秩序の中にある「犬神人」と清水坂非人・坂者の関係、について検討を加えた。

第2篇中世後期北野社をめぐる社会構造
第1部北野祭と室町幕府
ここでは、南北朝末期における祭礼の復興・運営を通じた幕府の都市商人支配の展開過程を、北野祭を通じて考察した。北野祭はもともと「官祭」であり、鎌倉期には蔵人方が運営を奉行し、大蔵省・率分所の年預が祭礼用途を諸国から調達して執行されていたが、南北朝期に変質し、将軍義満期に新たに設定された西京「七保」と大宿直「九保」への馬上役負担によって運営されるようになることを明らかにした。

第2部北野社西京七保神人の成立とその活動
ここでは、第1部で取り上げた北野祭の変質と深く関わる西京神人の存在形態について考察した。西京神人が南北朝期には麹業を営むようになっていたこと、南北朝末期に造酒正による酒麹賦課が免除され、さらに室町期になると麹業を独占する権利を幕府から与えられるに至ったことを明らかにした。そして文安の麹騒動を契機として西京神人の麹専売権が失われ、応仁・文明の乱以後北野祭も行われなくなると「七保」の内実も変化したこと、そこに「保」を基盤とした地縁的結合の形成を見出しうる可能性のあることを指摘した。

第3部戦国期北野社の闕所
ここでは、戦国期北野社の領主支配の展開について、闕所検断を中心に考察し、北野社の闕所屋処分において重要であったのは、破却することよりもむしろ「沽却」することにあったのではないかと考えた。次に、戦国期の北野社がこのような闕所屋処分の方式を選択した背景には、当時の社領に展開していた家屋売買・家屋所有の状況があるとみて、家屋の売買について考察した。
おわりにー課題と展望―
最後に本稿の簡単なまとめを行った上で、今後の課題として、①南北朝期から室町期における山門大衆の動向の分析、②中世後期の京都における土地所有の構造についての分析、③祭礼役・馬上役制度の展開と都市共同体の成立との関係の分析、の三点を提示した。