本論文は、一九二五(大正一四)年に開始された日本の放送事業を研究対象とし、近代日本における「放送」という様式のマスなコミュニケーションの成立過程を歴史分析した。
メディアは、それを可能にする技術の出現によって誕生するのではなく、同時代の人々の社会認識(リアリティ)に編入されてはじめて社会的に誕生する。本論文ではこの「二つの誕生」のあいだに生起する様々な諸契機の連なりをメディアの生成過程と捉え、「メディアは長い誕生日を持つ」という問題認識をもとに、実証的な放送史研究を試みた。
本論文では、まずウォルターJ.オングが提示した二次的オラリティという分析枠組みを検討し、分析枠組みと作業仮説を設定した。オングは「ことばの性質」が「ことばの表現」を規定し下支えするという認識に立ち、その「ことばの性質」の生成過程と特性を、「ことばの技術」の変容によって分析しようと試みたが、「ことばの技術」は従来のメディア史研究において周縁的なテーマとして扱われてきた。特に日本の放送史研究において先行研究は極めて少ない。だがオングによれば「技術とは、たんに外的なたすけになるだけのものではなく、意識を内的に変化させるものでもある。そして、技術がことばにかかわるときほど、こうしたことが言えるときはない」という。そうした狙いは、「ことばの技術化の方法(TheTechnologizingoftheWord)」という同書の副題でも明示されている。
オングが提示した「ことばの表現」「ことばの性質」「ことばの技術」の三者の関係を、本論文の問題意識から整理すれば、二次的オラリティは「表現層」と「形式層」に区別可能であり、後者は前者を規定すること、さらに両者は「技術層」によって下支えされる、という三層構造によってラジオ放送が複製する「声」は構成されている、という作業仮説を得ることができる。そこで本論文では①「声」の生成過程としての「放送局」の諸実践、②「耳」の生成過程としての「聞く」ふるまいの内実、そして③両者をつなげる回路の結晶体としてのラジオ受信機の変容、という二次的オラリティの三層構造の分析を試みた。
その分析対象として、放送初年度に新設され、日本の放送の歴史とほぼ同じ長さの歴史を持つ英語講座シリーズと、一九二七年に開始され、瞬く間に突出した人気を博した野球放送の二つを選び、さらには技術層をラジオ受信機の変化の分析によって考察した。
本論文は三部・一六章で構成されている。まず序章では上述の研究課題を設定し、続く第一部では、「放送」を「聞く」という社会的行為の生成過程を検証した。具体的には、ラジオ放送がまったくのニュー・メディアであった時代に、人々はいかにして「放送」を「聞く」ことと出会い、そして「聞く」習慣を身に付けていったのかを、ラジオ受信機の技術的変容とその標準化の過程を中心に分析した。第一部の考察から明らかになったことは、「放送」という様式のコミュニケーションは、単に放送「局(station)」という主体が事業を開始すれば成立するものではなく、本論文の第2章で議論した「聞く」行為の諸実践や、第4章で分析した受信機メーカーによる日本放送協会への抗争などの要素が大きく関与している状況である。
第二部では、放送オラリティの表現層と形式層の生成過程を検証するため、野球放送を事例にとりあげ、いかなる性質の「声」が最初期の「放送」で発信されていたのかを考察した。ここでは、「放送」が独自の「声」と「耳」を手に入れ、「放送」オラリティの一つの達成を遂げた中心的事例として、「生(live)」という集合的なリアリティが出現する状況を明らかにし、それを野球放送のアナウンスとオーディエンスの交渉過程において実証的に分析した。こうした「生」の集合的リアリティの出現は「放送」という様式のマス・コミュニケーションに特殊であり、活字メディアなど他のメディアには見られない独自のリアリティの様式である。
第三部では、放送初年度から今日まで発信されている英語講座シリーズに注目し、同シリーズにおいて開発されたラジオ放送の「声」の性質を考察した。同シリーズは言語学者・岡倉由三郎によって制作され、岡倉は語学番組の一講師に留まらず、東京放送局の顧問として「放送」すべき「声」の設計に深く関わっていた。本論文では、英語講座シリーズの番組内容と岡倉由三郎の言語思想の分析を通じて、放送局が「英語会話」という新しい「声の文化」の開発に着手する過程を追った。草創期に放送外部の「声の文化(オラリティ)」を借用していた放送局は、一方で「英語会話」という新しい知を開発し、他方で「共通語」の開発と「声」の標準化(アナウンサー学校の新設)に自覚的に着手する時期を迎えた。それは一九三四年、放送事業の開始から九年後のことであり、「放送の長い誕生日」が一つの達成点を迎えたことを意味する。
本論文の考察から見えてきたラジオ放送に独自の二次的オラリティの「声」と、それを「聞く」人々の新しい身体技法(それを本論文では「耳」と呼ぶ)のあり方は、単にラジオ放送という音声メディアの技術的特性によって生成されたものではない。ラジオ放送の「声」と「耳」のあり方を理解するためには、本論文が注目した一九二〇年代から三〇年代の近代日本におけるトーキー映画、大衆雑誌、そして新聞といった同時代のメディアとの位置関係を視野に入れた「間メディア的状況」の分析が必要となる。本論文をまとめたことで、「間メディア的状況」における「声」と「耳」の考察という次の課題が明確になった。筆者は本論文の成果をさらに深化させるため、この新たな課題に取り組む所存である。