本稿は、9-14世紀東シナ海海域の中で、特に宋元代中国と日本との間の経済的・人的交流をテーマとする。日本史の時期区分では、平安時代から南北朝時代までに当たる。前後の時代と比較した時、9-14世紀東シナ海の特徴は、海商が中心的役割を果たした点にある。これは貿易だけでなく人の移動手段(商船への便乗)も規定しており、人的交流、ひいては文化交流のあり方を考える上でも意味がある区分である。地域として設定した東シナ海海域は、中国・朝鮮半島・日本列島の沿岸部・島嶼部をその範囲とするが、本稿では、その中でも史料上もっとも分析に適している日中関係をテーマとして設定する。
東シナ海海域は国家を超えた地域としての性格を持つ。しかしそこに国家が関係を持たなかったわけではない。むしろ当該期の東シナ海海域は、海商の活動が公的なバックアップを受けていた点に特徴があり、国家と海域は必ずしも対立的な関係にはなかった。これは15世紀、外交活動と関わらない海商の活動が国家権力によって禁圧の対象とされたことと大きく相違する点である。そこで本稿では、当該期の東シナ海における海域と国家の関係をもっともよく示すものとして、管理貿易港、あるいは貿易管理のあり方を特に重視し、分析の対象とする。
また従来の研究史上の問題点として、日本側の視点に偏っていたこと、史料の発掘が十分でなかったことなどが挙げられる。そこで本稿では、従来の研究視点を相対化させるために中国側の視点を重視し、また仏教史料・中国側史料(詩文集・地方志など)から可能な限りの史料発掘を行ない、新事実の呈示などに努めた。
以上の関心・方法に随い、本稿では第一部「宋代市舶司貿易体制と日宋貿易」、第二部「日元貿易の展開」、第三部「人的交流の諸相」の三つの側面から、宋元代中国と日本の交流のあり方を具体的に明らかにする。
第一部「宋代市舶司貿易体制と日宋貿易」は、日宋貿易に関する専論というよりも、宋代海上貿易を考察する上で、日宋貿易を材料とするという形を採っている。日本は高麗・東南アジアも含め、宋海商の活動圏の一部であり、宋代貿易史の一部としてとらえられる側面が大きいと考えるからである。具体的には、東シナ海海域における明州市舶司の位置、市舶司貿易における海商・官吏・仲介商人の関係、海商の貿易形態と国家による扱いの問題などを考察した。
第二部「日元貿易の展開」では日元貿易の具体的・通史的叙述を試みた。従来は日元貿易において時代を通じた変遷がほとんど度外視されており、このような叙述は不可能であったが、本稿執筆に当たって以下の三点を積極的に行なうことで、これを試みた。一つは、従来利用されてこなかった中国側の詩文集や地方志などを積極的に利用することで、元側の倭船対策を丁寧に追うこと、一つは、軍事的緊張や海上の治安など、日元両国の客観的情勢を参照すること、一つは、元朝の政策や日元両国の情勢が日元交通に与えた影響を、僧侶の渡航状況により確認することである。内容としては、初期(クビライ期)=軍事的緊張の時期、中期(14世紀前半)=貿易の盛期、末期(1350-60年代)=海域の混乱期の三つの時期に分けて考察した。
第三部「人的交流の諸相」は、第一部・二部が貿易史としての側面が強いのに対し、文化交流史の視点から日宋・日元関係を描いたものである。いずれも日中間を移動した人をテーマとしている。ただし文化論そのものというわけではない。日中交通を取り巻く環境の変化が人の移動をどのように規定したのか、逆にいえば人の移動を見ることで日宋・日元関係のどのような側面が見えてくるかという関心から論じたもので、その意味であくまでも日宋・日元交通史研究の一環である。具体的に取り上げたのは、渡来人と渡海僧である。前者については、渡来のピーク期=13世紀第4四半世紀と14世紀後半の二つの時期について、その背景などを考察した。後者については、渡海に当たり携行した偽造度牒の問題と外国語学習の問題を取り上げ、その背景となる日宋・日元交通の特徴を考察した。