本論文は、清朝末期から民国初年にかけての中国学術界で活躍した王国維(1877-1927)を取り上げ、王国維にとって「哲学」とは何であり、「歴史学」とは何であったのかという問いを軸に、彼の学術思想の意味と特徴を明らかにすることを課題としている。
本論文は2つの部から構成される。第1部は、王国維の哲学に対する思考を明らかにすることを課題とし、4つの章に分けられている。まず第1章では、王国維における「哲学」という概念を考察し、倫理の問題こそが王国維の「哲学」への関心を支えていることを明らかにした。第2章においては、王国維のショーペンハウアー哲学理解における倫理的関心を考察した。第3章においては、王国維がどのように西洋思想の「reason」という概念を用いながら中国思想の「理」という概念を解釈したのか、という問題を検討した。特に、この「理」解釈の過程で、それまでの制度化・体制化された「理」の一義的理解を解体し、自由な思考の獲得を求めようとした王国維が、結局のところ西洋を基準にして中国思想に押し付けることになったのか否かについて検討を加え、「西洋哲学」の抱擁と相対化の間の緊張関係が、彼における倫理的関心といかなる葛藤関係にあるのか分析した。そして第4章においては、異文化と如何にして接するべきかについての王国維の思考を考察した。
第2部は5つの章からなっているが、筆者の究極的関心は、「新史学の開山」と呼ばれる王国維の「歴史学」そのものの中身、および同時代の他の「新史学」との関係性のあり方とを明らかにすることにある。この問題の解明のために、王国維もその一部に位置づけられた「新史学」の内容と展開とを検討することが、不可欠の手続きとなる。そこで、第5章から第8章においては、近代中国のそれぞれの時期において「新史学」の代表的存在であった4人の歴史家、すなわち梁啓超と胡適と顧頡剛と郭沫若をそれぞれの章で取り上げ、彼らの学問の特色を明らかにすることを通して「新史学」の流れを整理した。いうまでもなく、この作業の究極的目的は、各自の「歴史学」の特質を明らかにすることにあるのではなく、4人の「歴史学」との比較を通して王国維の「歴史学」の特質を明らかにすることにあるのである。
第9章においては、既に明らかにした「新史学」の内容と展開を念頭に置きながら、王国維の歴史学を新たに考察した。これまでの研究が「新史学」の流れの中に閉じ込めてきた王国維の歴史学は、その本質的部分において「新史学」と明らかに異なっている。王国維は、学問の主体性の観念に基づき、学問をイデオロギー的目的に奉仕する単なる手段とすることに疑問を抱き、そのことを通して、歴史の目的が国家にあるという梁啓超が「新史学」に与えた規定に対して反発した。それゆえに、王国維は集団思考を優先させた言説と一線を画し、懐疑的な姿勢をつらぬく個人として不協和音をたて、私的解釈の復権をうたうことになった。固定した思考慣習から脱することを念頭におきながら、彼は近代西洋の諸科学を積極的に中国に導入しようとした。と同時に、近代西洋の言説を唯一の真理として何の疑いも持たずに確信し、それを再生産することに対して、彼は常に警戒していた。
王国維は歴史の叙述に隠された真理の発見へと向かうのではなく、もろもろの出来事を歴史的コンテクストに位置づけなおし、その成立の諸条件を追跡することを通して、その歴史学を展開させている。それによって、近代にとっては不適切であるとか、十分に練り上げられていないという理由で、知識としての資格を剥奪されてきた前近代の中国の学問を救い出そうとした。それは王国維が、勝利者であったある種の言説を唯一の真理としながらさまざまな出来事を非歴史的に捉えるというやり方を、意図的に避けようとしたからにほかならない。そうであるがゆえに王国維は、排他的に差異のみを強調する民族主義に縛られる言説にも背を向けた。
結びに当たる終章では、王国維における「哲学」と「文学」と「史学」の関係を分析しながら研究を総括する。王国維の「哲学」への接近は、「人生の問題」を推進役にしていた。人生の問題は抽象的範疇において解消されうるのではなく、常に個別的であり、さまざまな具体的な状況へ差し戻して問い続けられるのでなければならない。人生の具体的な状況は、いうまでもなく、常に他者との関係に結び付けられている。他者との関係という問題は、すなわち倫理の問題である。つまり、人生の問題は倫理の問題と直結するのである。倫理の問題は、王国維が1学科としての哲学の研究から離れた後でも、彼の問題関心の重要部分をなして、その論考を貫いて存在しているのである。倫理を観念的なものとしてではなく、常にある具体的な「歴史」的な出来事として捉えなければならないという認識があるからこそ、王国維は、中国の思想史を観念論的に語ることや、歴史上に起きた出来事を歴史的必然性という名の「法則」のなかに組み入れることに対して常に違和感を抱いており、歴史的な視点を立てたのである。倫理の問題こそ、王国維の学問全体に一貫した問題設定であり、王国維は「哲学」/「文学」/「歴史学」の区別なしで人生の問題、そして倫理の問題を考えてきたのであると、本論文は主張している。
本論文は、「近代」との関連で王国維における倫理的なものに対する関心から、王国維の学問における内的な緊張関係と、それを巡る「新史学」、「哲学」といった外部の言説的関係を考察し、近代的な中国歴史叙述と観念論的西洋「哲学」に対する批判者としての王国維の学術思想の特徴を明らかにした。