本論文では18世紀イタリア最大の劇作家、カルロ・ゴルドーニ(1707-1793)が行った演劇改革の意義を問うた。ゴルドーニの演劇改革は、イタリア演劇史上、さらにヨーロッパ演劇史を語るうえでも画期的な出来事であったが、本論文ではこの演劇改革が当時のイタリア、またヨーロッパ演劇の中で占めていた位置とその影響を探るため、ゴルドーニの演劇改革の道のりを、彼の作品の分析、同時代人の批評および改革をめぐる当時の議論を通して辿り、改革の実態を探った。
ゴルドーニの演劇改革以前のイタリアの状況を概観すると、十七世紀後半から、ブーウールらフランスの文人達がイタリア文化の衰退を指摘、攻撃し始め、イタリアの文人達もその状況の打破を模索していた。イタリアの演劇状況を見てみると、当時の演劇には文人によるテクスト中心の「台本全体が書かれた」演劇と、筋書き以外のテクストを持たない「台本のない」即興劇、すなわちコメディア・デッラルテの二種類の演劇が存在していたが、前者は高尚すぎ、後者は低俗すぎて、両者とも商業演劇として劇場にかけるには問題があった。こうした中、フランスの影響を受けて、文人を中心に自国の演劇を確立しようとする動きがあった。
第1章ではゴルドーニの演劇改革以前の演劇状況を考察した。ここではゴルドーニに先立ってイタリア演劇改革を志した二人の人物、コメディア・デッラルテの俳優ルイージ・リッコボーニと、彼に協力して演劇改革に取り組んだ文人貴族シピオーネ・マッフェーイという、立場の違う二人の演劇理論書を比較分析、その試みの実態を探った。
第2章ではゴルドーニが演劇改革を宣言したとされる、1750年のベッティネッリ版喜劇集の序文と、作品『喜劇』(1750)を、パスクワーリ版ゴルドーニ喜劇集序文や、『回想録』の記述をもとに分析、彼の改革の指針は、演劇作品における道徳性と写実性の追求にあることを解明した。
第3章では改革宣言を行った年を含む、サンタンジェロ劇場時代(1749-1752)に上演されたゴルドーニ作品の中から同時代の批評の残る作品、すなわち『狡賢い未亡人』、『骨董狂いの家族』、『喜劇』、『高潔な娘』、『良き妻』、『パメラ』、『結婚したパメラ』、『コーヒー店』、『真実の友』に焦点をあて、作品における改革の目標達成の度合いを探ると同時に、作品に対する同時代人の批評を分析した。作品はライバルの劇作家キアーリの他、カルロ・ゴッツィやジュゼッペ・バレッティによって批評されている。またヴォルテールやディドロといったフランスの作家達の劇作品にも影響を及ぼしたが、特にディドロの市民劇理論に及ぼした影響について考察した。
第4章ではサン・ルーカ劇場時代(1753-1762)に書かれた作品をとりあげる。キアーリとの競争と共に、ゴルドーニ作品への批判は激しさを増したのだが、中でも『イギリスの哲学者』は、ジョルジョ・バッフォの批判がきっかけとなって多くの批評が書かれ、ゴルドーニ=キアーリ論争に拍車をかけた。ここでは『イギリスの哲学者』について、多くの批評文を交えながら分析した。ゴルドーニの擁護者の一人、ガスパロ・ゴッツィは、『ルステギ』と『新しい家』の批評で、作品の持つリアリズムを激賞したが、この時期にゴルドーニ演劇のリアリズムが確立されたと言えよう。
結論として言えることは、ゴルドーニは改革を通して、高尚でも低俗でもない《中庸の演劇》を作りだし、また道徳の手本を示すという自らの改革の目標も達成したということである。さらに自然を描き出すリアリズムの手法を生み出し、市井の人々のささやかな日常を舞台に現出させることに成功した。彼の作品はイタリアのみならず多くの賞讃や批判を受け、様々な論争を引き起こした。同時にフランスの啓蒙主義者たちの模倣の手本ともなり、彼らの演劇理論ひいてはヨーロッパ演劇の流れにも影響を及ぼしたと言えよう。