A.アーウィンは「バタイユの著作の中で、供犠は遍在するモチーフであり、宗教、芸術、エロチシスム、政治の領域を両義的に橋渡しする」と書くし、J.-L.ナンシーは、バタイユの思想は供犠に多大なる興味を注いでいたというよりも「取り付かれていた」と書く。実際、ジョルジュ・バタイユ(1897-1962)の活動において、供犠という概念の存在は大きく、その意味は深い。本論文は、こうしたバタイユにおける供犠の概念に着目し、バタイユの思想の中でこの概念が持つ意味を追跡して行くものである。ただし、本論文の特色は供犠の持つ意味内容の解説に還元されるものではない。すなわち、本論文は、バタイユ思想における供犠の重要性を確認するだけではなく、この概念とバタイユのテクスト実践との関係に新たな照明を当てることを目指している。つまり、バタイユにおいて、供犠は思考されていただけではなく、テクストにおいて実践されていると主張することができるのである。
しかし、テクストによって供犠が実践されているとはいかなる意味においてであるか。それは、単に、書く主体のエネルギーの消失が行われているといった比喩的な、抽象的な意味に留まるものではない。むしろ、そこには確固たる供犠の舞台装置を見出すことができるのであり、テクストは供犠がスペクタクルとして文字通り実践される場として位置づけることができる。実際、供犠とテクストの間には次の様な構造上の類似を打ち立てることができる。すなわち、「犠牲者、供犠執行人、参加者」の三項は、そのまま「登場人物、話者、読者」の三項に対応させることができるのである(ちなみに、『内的体験』の場合においては、一人称の〈私〉が犠牲者の役割を果たすため、「犠牲者、供犠執行人、参加者」の三項は「話者、話者、読者」の三項として分析されることになる)。
そして、こうした供犠と文学テクストの親近性は『文学と悪』において、とりわけ<悪>という観点から説明されることになる。すなわち、供犠が死を通して聖性の開示を行ったのと同様にして、文学は<悪>を通して至高性の開示を行うのであり、供犠が聖性を仲立ちによって、参加者たちの交流を用意したのと同様にして、文学は至高性の仲立ちによって、意味や有用性に回収されることのない他者たちとの関係、「強い」交流を樹立するのである。ここで両者の間に確認されるのは、構造上の類似だけではなく、一つの内容的な類似である。すなわち、それは聖性や至高性と名指される、いかなる意味や有用性によっても侵されることのない人間の最終的な属性を確保して行こうとする意志、そして、この属性の共有に基づいた人間相互の関係、交流への意志である。
バタイユの思想とそのテクスト実践は、こうした供犠と交流への意志によって貫かれている。そして、バタイユのこうした態度が重要と思われるのは、供犠の実践としてのテクストという観点が、バタイユ固有の問題であることを越えて、文学という我々の実践を背後から支えている要請とは何であるかを再検討する、一つの視座を提供するものと思われるからである。バタイユが文学に期待するのは、超越的な媒介物(者)が何もないにも関わらず、というよりも、そうした媒介はおそらく永遠に不可能であるかもしれないという実存の条件の認識を通じて、人間相互の間のコミュニケーションを成立させることである。
もちろん、こうした文学的コミュニケーションに、政治、経済、法律、宗教が持ち得るような、積極的な拘束力やその制度的存在を期待することはできないだろう。おそらく、その点において、文学は一つの呼びかけ以上の存在様式を持たないのである。ただし、それは、永遠に続けられる呼びかけ、他者たちに届くことを期待して行われる供犠であり、もし「聖なる」次元とは先験的に存在するものではなく、供犠を起点として初めて創造されると考えたデュルケムやモースの観点が正しいとしたならば、あらゆる意味や有用性の彼岸に、人間と人間が出会うための場所、言葉の強い意味における人間的なコミュニケーションの空間を創出、確保して行くためには、文学テクストという供犠を継続して行くことこそが必要である。