志賀直哉(一八八三(明16)~一九七一(昭46))とその作品について論じた。志賀直哉の作品史を、初期〔一九一〇年に『白樺』に「網走まで」を発表してから一九一四年に「児を盗む話」(『白樺』四月)を発表するまで〕、中期〔一九一七年に「城の崎にて」(『白樺』五月)で創作活動を再開してから改造社版『志賀直哉全集』(一九三七~三八)刊行まで〕、後期〔その後、主に戦後〕として三つに分け、特にその中期について検討を行った。
本論考では、物語が展開しうる時間的空間的広がりを物語領域と名づけ、小説作品における想像力の可動範囲・可能性について検討した。また同時に中期作品における、物語の表現、伝え方についての試みにも注目した。物語領域の分析と情報の伝達方法への着目によって、私小説として片付けられ、方法的可能性を検討されてこなかった作品を再検討しようとしたのである。
まず第一章では、初期の「大津順吉」と比較する形で、「好人物の夫婦」「流行感冒」を、第二章では、中期のはじまりとしての「佐々木の場合」を取り上げ、志賀直哉作品における女中像について検討した。家庭イデオロギーを撹乱するという女中の存在が物語領域に奥行きを与えている様子を確認した。
第三章では「焚火」と同時代文学との関係を、第四章では「暗夜行路」とその連載過程を、第五章では「邦子」に見られる同時代文壇への意識を、第六章では〈文芸復興〉期の作品「菰野」を論じ、志賀直哉作品史と同時代文学史の関連について考えた。これらの論考では作品世界を開かれたものとして捉え、物語の情報がどのように読者や文壇に受け止められるかを同時代評などによって分析た。作品のメタレヴェルにある、作者や読者についての情報が、物語世界に干渉する様を確認することを通じて、作品が作者・読者・文壇といった存在をつなぐメディアの役割を果たしていることを明らかにした。
最後に付した補論では、初期の志賀直哉に関して、森?外「花子」およびそれに対する志賀の批評を取り上げ、現実の花子のヨーロッパでの活躍ぶりと合わせて女性の裸体表現について考察を行い、また初期の読者としての志賀直哉が彫刻家ロダンに夢中になるあまりに日本人の花子という女性を見落としてしまっていることを確認した。
中期に関して、従来は志賀は狭い家庭を舞台にした私小説を書くようになり、物語性が枯渇したように言われてきたが、しかし第一章のように女中という物語領域に注目することで、まさにその家庭という一見ドラマチックでない環境が、実はサスペンスに富んだ世界であったことを明らかにした。このように本論考では中期作品の女性に注目することで、従来は評価されていなかった作品を読み替える可能性を発見した。例えば第四章では作者の生き方や発言とは別のところで、ヒロインの存在の大きさが見出されてしまう作品として「暗夜行路」を読み直した。さらに第五章では主人公が女性によって脅かされるさまを確認することが、男性性を脱構築する契機となる様子を見た。中期作品は主として女性のいる場所、家庭などを描いたときに、その物語領域の奥行きを感じさせるのである。
また、第二章で取り上げた「佐々木の場合」には、男同士の対話の中で見落とされている女中の物語を読むことができるが、そういったコミュニケーションのトリックを用いた作品が多く書かれるのも中期の特徴である。第二、第三章では物語を伝えることに際して、「聞く」という行為が重要な意味を持っていることを確認した。文学研究では語り手論に対して聞き手論はまだ緒についたばかりであるが、小説を情報伝達やコミュニケーションの問題として捉えようとするならば、語ることだけでなく聞くことへの注目は必要である。
「焚火」の聞くという方法、「暗夜行路」の自己物語の方法、「菰野」の見せ消ちの方法を、物語を小説に流し込むための苦心として見たとき、中期の志賀直哉作品の物語を扱う技術の完成度に驚かされる。中期の作品群では物語領域の広がりと併せて、物語の表現方法においても実に様々な挑戦が展開されているのである。