本学位論文は『今昔物語集』『古事談』『今鏡』、以上の三作品における説話の収載・配列に着目してその作品の構造を解き明かすとともに、いずれの作品もいわゆる院政期と呼称される時代に成立したことから、三作品を対象とする論文の総称として『院政期説話文学論』と題する。なお、本学位論文における「院政期」は、院権力が相対的にもっとも強く機能した時期を呼称するものであり、白河院政の開始より、承久の乱による後鳥羽院政の崩壊までを指すこととする。
第一部には『今昔物語集』(以下、『今昔』と略す)に関する論考を集成した。欠巻、欠話など、『今昔』を特徴付ける編纂上の諸々の振幅が最も顕著に現われるのが、巻二十二から巻三十一までの「本朝世俗部」と呼称されるまとまりである。本朝世俗部は問題を多々孕み、内容的にもっとも興趣に富みながらも読み解くのは最も難しい一群であるため、本学位論文は特に「世俗部」を中心に論考を行った。
巻二十二から巻二十五までは王権を構成する諸要素を収載するが、その中心となるのが、「大臣」と「兵」だった。それ故、「秩序を支えるもの―藤原氏、そして兵―」と題して、藤原氏大臣伝である巻二十二と兵を叙述する巻二十五を考察する。第一章は「藤原氏大臣伝」とされる巻二十二の性格規定を再検討し、『今昔』が大臣、藤原氏にどのような眼差しを向けていたかを考える。第二章は巻二十五の考察に宛て、巻の中核を構成する「清和源氏」という一族、および「公」と「兵」の相関が世俗部の巻の配置にもたらした影響などを論ずるものである。
巻二十六から三十一は、王権の周縁、その秩序の構成要素の外縁にある存在を集成した巻々が並ぶが、「秩序の周辺」という題の下、怪異説話を編纂した巻二十七に考察を加えた。特に巻二十七を取り上げたのは、一つには『今昔』において、怪異は先に扱った「兵」と同じく王朝の暗部に蠢く存在として認識され、両者に注がれる視線は無縁ではなかった故である。加えて、巻二十六から三十一の付題は順に、「宿報」「霊鬼」「世俗」「悪行」「雑事」「雑事」とあり、各巻異なる主題の下、説話を集成するが、なぜこれらの主題の下に『今昔』が一巻を宛てたのか、その理由は未だ不明な点が多く、問題を多く抱える世俗部にあっても難問の最たるものに含められる。よって、まず『今昔』における巻二十七編纂動機を考えた上で、いかなる手順・手法を以て一巻に怪異説話を描き出したのか、その具体相を明らかにする。
第二部には『古事談』と『今鏡』を取り上げる。約四十年を隔てて成立した両書であるが、ともに中世初期に成り、先行する作品に見えない初出説話を多く含み、且つ、後続の説話集の有力出典となったという共通の側面に着目し、一括して両書の論考をまとめた。
『古事談』では武士説話を扱う「勇士」の巻に絞り、立論する。『今昔』巻二十五は合戦譚を中心に武士を描いていったが、『古事談』「勇士」に合戦の現場や戦闘行為そのものが占める量はむしろ少ないと云ってよい。それでは『古事談』はいかなる視点から武士を叙述しようとしたのか、第一章では『古事談』「勇士」の中心的な編纂軸を追究、続く第二章では、武士の反乱の始発と記憶され続けた承平・天慶の乱を『古事談』はいかに語ろうとしたか、その説話構成を巡って考察する。第三章は一言で云えば、『今昔』巻二十五との特徴的な差異を中心とした論である。
『今鏡』は『大鏡』の衣鉢を継ぐ存在と自己規定し、その体裁に倣って構成されているが、『大鏡』には見えない『今鏡』独自の章立ても含まれ、『今鏡』の独自性を考えるとき、これらの諸章を取り上げるのは一つの方法と云える。そして「昔語」の巻は『大鏡』の「雑々物語」に相当するが、雑纂的と評される「雑々物語」とはかなり趣を異にする構成を誇り、この精緻な章立てや配列は『今鏡』の特性と見なしてよいもので、やはり独自性を強く帯びた巻に入る。第一章では、この「昔語」の作品内における定義付け、『今鏡』の全体構造との関係性、内部の構成などを考察する。第二章に見る「打聞」は和歌説話を集成する「敷島の打聞」、万葉集成立論「奈良の御代」、源氏物語論「作り物語の行方」から成るが、以上を統一的に捉える視点を模索する。「付論」は、「打聞」論の展開上、本論にうまくはめ込めなかった「打聞」巻頭二話に絞った論である。一般に『今鏡』は「つまらない作品」との評価を受けるが、第三章では、逆説的な見地から、「つまらない」という要素にこだわり、『今鏡』の文学的特質を考える。