“文学”とは歴史的な概念であり、歴史的観点からアプローチされるなら、“文学とは何か”の問いは無謀なものではない。フランスを対象とする場合、“littérature”の語と“文学”の語義が比較的近年に結合したという事実があり、“文芸”[belles-lettres]から“文学”[littérature]への移行が一つの指標となるが、ここには名辞と内実の変化が絡み合う複雑な経緯がある。本稿は、文学概念の歴史性をフランスに則して問う。“文学とは何か”を問うことは、それ自体の名辞と概念の由来を蔑ろにしてきた文学研究の欠落を補う建設的な作業である一方、従来の文学史的研究を支える前提を相対化する脱構築的な作業ともなるが、この問題系に切り込むうえで本稿は、ジャック・ランシエール[JacquesRancière1940-]の諸論考を手掛かりとする。
この選択は、“建設的”かつ“脱構築的”という二つの方向を共存させる本稿の目的と相関する。“文学概念”は、可能な“研究テーマ”の一つである以前に、大革命以後のフランスの歴史性と絡み合い、文学研究を超える広がりを持つ問題系である。本稿は、“文学概念の歴史性”をフランスに範囲を限定して問うというより、“文学概念の歴史性”と“フランスの歴史性”との固有の結びつきそれ自体を問う。言葉を弄ぶ抽象的な操作としての“文学”を、トクヴィルはフランス革命の源泉と認知したが、大革命によって到来した民主主義社会に対する批判的な視座の綿々たる系譜は、こうした意味での“文学”を糾弾し続けてきた。だが逆に、民主主義は、言葉の操作によって物語=歴史を紡ぐことで意味を産出し、それによって自らを支える。文学研究者ではないランシエールの関心の核心は、民主主義と文学との必然的な結びつき、アルケーを欠く体制と、固有性を欠く浮遊する言葉のアートとの表裏一体の関係にある。文学を論じる義務を持たない彼が、通常の文学研究者とは異なる真摯さをもって“文学とは何か”の問いに対峙する所以はここにある。
文芸と両立不可能な言葉のアートとしての文学は、文芸の豊かさの源泉たる修辞学の伝統からの脱却を前提としてその歩みを始める。この伝統の核心は、文彩の分類ではなく、措辞[elocutio]という可感的な要素を着想[inventio]に、つまりは文体を主題につねに奉仕させることにある。逆に、文学は、主題の統括を免れた措辞がそれ自体の栄光を求めることを許し、この転倒を条件として成立する。文学は、アリストテレス的なミュートス=フィクションとしての“詩”の枠組みを超え出て、任意の対象、石などの“生命を持たない”対象にさえ“詩”を認知する。
修辞学の伝統とは、言葉の扱い方の諸規則ではなく、“知的なもの”と“可感的なもの”、“原因”と“効果”の序列を基盤とする一つの世界観である。この伝統を脱した文学の出来は、言葉のアートの領域に限定された変化の帰結ではなく、諸々の技芸のうちで芸術を分別する基準の変化と連動している。新たな布置においては、“精神”と“物質”の領分の序列は破棄される。もはや“美しき自然”ではない物質の多様性は、知的な“形式”の適用を経ることなくそのままに“精神化”され、その“存在”そのものを“意味”と化す。“表象”[représentation]の詩学的原理にとって代わるこの原理は、“行動する人間のミメーシス”を本旨とする“模倣の諸芸術”において“生命を持たない”と見做されて地位を奪われていたものたちに可視性を与える。芸術の身分規定のこうした変化は、芸術固有の問題ではなく、芸術を包み込む社会そのもの変容の関数である。文芸の理念を支える重要概念である“civilité”や“politesse”の語源には、“古典”的な文芸と“古典”的な政治思想の表裏一体の関係が刻まれている。双方の“自然”な関係の崩壊を受けて成立する文学は、“civilisation”と“politique”の“歴史”を生み出す、新たな布置の表現なのである。