本論は、中国古典詩における植物描写の分析を通じて、詩語と詩人の心との関係について述べるものである。
第一部「ハスの花を表す五種の詩語」では、ハスの花という言葉がなぜ五つもあるのだろうか、という疑問から出発して、言葉にも運命というものがあるという感慨を覚え、さらに、言葉が人にとって持つ意味を探った。
ハスの花を表す五つの詩語は、同じ作品に同じような意味で使われることもあるが、また時として、まるで異なる植物を表す言葉のように個性があるのであった。それはこの五つの言葉に独立して与えられた運命や個性ではなく、これらの言葉が通り抜けてきた時代に生きていた人々の精神の総体に由来するものである。
第二部では、美意識と描写表現の変遷という主題を決めて時系列に植物詞を追った。
第一章ではしだいに衰微の美に目覚めていく詩人の心を追う。美しいハスの花は呪術的な力を持つ瑞物として描かれていたが、貴族文化が成熟して行くにつれて、その枯れ衰えた姿に惹かれる衰荷の流れが生まれた。中唐張籍の「江清露白芙蓉死」の句は新しい美意識を生んだ。一人の詩人の言葉によって多くの人々が新たな美意識を獲得したのであった。
第二章では、特に盛唐から中唐への移行期に焦点を当て、桜桃詞による描写表現を考察することによって、詩人と朝廷との関わりがこの時代における文学の転換の一つの要因となったことを述べた。桜桃の題詠詩を時代順に並べてみると、盛唐では朝廷が時代の精神の支柱であるが、中唐の元和年間以降には、作品からその様な気持ちが稀薄になる。そしてこの時期に、描写表現が現実的な細かなものになり、新しい詩語が大量に生まれた。
第三部は、楽府題「採蓮曲」が各時代に書き継がれていることから、その誕生、発展、飛躍の様子を追った。
第一章はその誕生の様子を考察した。「採蓮曲」を初めて書いたのは六朝梁の武帝であったが、その誕生までには、素材となる多くの作品があり、かつ武帝に影響を与えた作品群があった。武帝の「採蓮曲」は長い歴史の上に書かれたものである。
第二章は、盛唐李白による「採蓮曲」の三様の解釈を巡って、六朝梁から盛唐の間に書き継がれた「採蓮曲」を考察した。それによって李白「採蓮曲」の解釈を定め、さらにそれが作者自身の憧憬と絶望を表現していることを指摘した。
第三章は、十九世紀に李白「採蓮曲」がフランスのエルベ・サン・ドニによってはじめて欧州に紹介されてから、ドイツのグスタフ・マーラーによって交響曲「大地の歌」に組み入れられるまでを考察し、マーラーが李白詩に正しく共鳴していることを述べた。
これら三章を振り返ってみると、「採蓮曲」という楽府題には、夏の陽光、澄んだ水、若くたおやかな少女たちという、この世の理想とされる美の世界が描かれているのであった。マーラーは李白詩を「大地の歌」に組み入れたときに、題名を「美について」と変える。彼がそこに美の世界の現出を見たからである。
本論で行った全ての研究を通して、現在を生きている人々に次のようなメッセージを送りたいと思う。人の日々の営みや思いは、その人の死によってこの世から全て消え去ってしまうのではない。「採蓮曲」という楽府題の中に内包された美の世界は後世に書き継がれ、文化を超えて現代のヨーロッパにまで伝えられていった。こうしたことは「採蓮曲」という楽府題に特別に起こった希有な例ではないのである。私たちが日常に使っている言葉には、私たち自身の、そして過去にいた無数の人々の、様々な情景がすり込まれている。私たちが何気なく言葉を口にするとき、意識することはないけれど、私たちはその言葉に内包されている過去の人々の行いや精神としばしば触れ合っているのである。
第一部で詩語の研究を行ったとき、詩語に個性や運命があるように見えたとしたら、それはその時代の人々が持つ精神の総体に由来するものである。第二部で詩語の軌跡を追ったとき、そこには言葉がその時代における人々の意識の変革を自らの身に引き受けて変化していく様子が見えた。第三部では楽府題が美しい世界を内に包みながら時代と文化を超えて継承されていく様子を見た。これらを通観して、次のようなことが言えると思う。
人々の精神は、人々の意図を超えて、言葉の中に包み込まれ、後世に伝えられていくのである。