唐朝は一時的とはいえ「大一統」を成し遂げた唯一の漢民族王朝であり、現在の中国でもその時代を中国史上の最盛期と見る意見は強く、「中国」の国民意識を形成する上での重要な「記憶」の一つとなっている。本稿は、その唐代の辺境社会における漢民族と諸民族集団の関係を、「農耕」「牧畜」という経済形態を手掛かりに、土地、牧畜経営、社会、国家などの諸相において具体的に論じていくことを目指すものである。

第一章牧地と中国王朝-唐代の馬政と牧地について-
本章では、安史の乱を契機として一変した唐の馬政を通し、「監牧」の置かれた西北部の牧地が、中国王朝の勢力維持・伸長にいかに重要な役割を果たしていたかを明らかにした。また、唐代後期に監牧の設置や処分をめぐって現れたような、牧地の帰属・利用をめぐる「農」「牧」両業種の対立関係は、両者の関係を考える上で注目しなければならない点である。
第二章農耕社会と牧畜社会の共存関係-敦煌の牧羊代行業について-
本章では、敦煌文書に見える遊牧民への牧羊委託の成立について論じ、その因が農業経営者の羊群の拡大と牧地の遠隔地化にあることを明らかにした。この牧羊委託・代行は、農耕社会の富を増加させ、遊牧社会の経済活動の多様化を促すもので、このような相互依存的共存関係の存在から、これまでの「農耕」の優位性を前提とした辺境論は見直される必要がある。
第三章辺境支配と民族集団-唐の河曲支配と康待賓の乱-
本章では、唐の北部辺境支配の基本的な枠組みの中に、遊牧民の農耕民化の志向があること、そして、それが開元期に強められたことにより、河曲で六州胡を初めとする諸民族集団の反乱(康待賓の乱)が発生したことを論じた。またこの康待賓の乱は、ソグド系の人々によって率いられるなど、安史の乱との共通点も多く、ソグド人の歴史的役割を考える上でも注目すべき反乱である。
第四章農耕国家と遊牧国家の経済関係の相互化-唐・回鶻間の絹馬交易について-
本章では、これまで回鶻の「力」を背景とした片貿易として理解されてきた唐・回鶻間の絹馬交易について、そのような理解には史料的に問題があること、むしろ、「監牧」を失った唐朝側には、回鶻から馬を買う積極的な理由がありること、またその購入馬数の決定には唐の経済・財政状態が大きく影響していたことを明らかにした。中国王朝と遊牧国家の間にこれほど密接な経済関係が結ばれたことは、それ以前には見えないものであり、「征服王朝」に向けた回鶻の社会変容を考える上で看過しえないものである。

以上の考察を通じ、唐代の北部辺境社会における農耕社会と牧畜社会との経済面での共存関係の存在と、唐朝の農耕民化の推進によるその破壊が明らかになった。一方、農耕世界と牧畜世界の共存関係は、唐の後期に、回鶻との絹馬交易という形で現れており、それがやがて牧畜世界の大変容をもたらしたことは注目に値する。農耕世界(漢民族世界)と牧畜世界(諸民族世界)の関係はしばしば対立の構図をもって描かれるが、歴史をより包括的に捉えるならば、両世界・両経済の共存関係の面にも評価が加えられるべきであろう。