本論文では、〈満洲〉という植民地育ちの日本人作家としての安部公房(一九二四~一九九二)とそのテクストを〈植民地経験〉、そして〈戦後〉という時代性と関連させながら、考察してみた。ある戦後作家が自らの植民地経験と戦いながら、たえずそれを現在の足元へひきよせ、時代と向き合っていく作業は、彼の文学世界にどのような陰影を作り、どのような方向性を与えたのかに、分析者の主な関心があった。
一章では『終りし道の標べに』を中心に、敗戦状況における外地日本人のアイデンティティ・クライシスがどのような文学的テーマを形成したかをたどってみた。二章ではこれを受け、「名のなき夜のために」について方法論の転換を中心に考察してみた。
三章から六章までは主に五〇年代を対象にしている。三章においては、『壁』を中心に敗戦の現実がどのように形象化されているかを考察してみた。ここでは安部テクストの大きな一つの主題系を形成する〈父殺し〉の問題をアメリカと戦後日本との関係から捉えてみた。四章の「闖入者」論においては、日本という〈父〉と訣別した戦後の主体にアメリカはどのような他者像を形成しているかを、「国民文学論争」のコンテクストから考察してみた。五章においては、戦後の文学運動のなかで、記録文学運動を反米愛国主義的なナショナリズムの創出という観点から考察し、安部において「記録文学」の問題を捉えてみた。六章は、『けものたちは故郷をめざす』の表象している植民地主義の自覚の独自性を明らかにする試みであった。それは引揚記の犠牲神話を、引揚げできなかった少年の視線から相対化することによって、植民地へのノスタルジア物語の中で捨象されていた問題を前景化し、自らのアイデンティティに帰属することへの違和感の表現でもあったのである。
七章の『砂の女』論においては、六〇年安保以降の時代状況を背景に安部の〈戦後〉的パラダイムがどのように変容していくかについて考察してみた。政治的急進主義、安保の挫折という時代状況は、いわゆる日本という〈起源〉を求める動きを強めていく中で、安部はむしろ絶えずそれを否定するノマド的文化への志向を強くしていた事実をたどってみた。
八章では晩年の一九八〇年代を対象にし、クレオールへの関心と安部の植民地経験との関連性について論じ、論全体の概括を試みた。
植民地経験と関する安部の言説は、時代によって微妙に変化しているものの、この表象は起源の不在を絶えず訴え、その主体の多様性に着目していく立場であるといってよい。本論文では、安部テクストにおけるナショナルなものへの傾倒と離反という、この二つの拮抗する方向を編年体で辿ってみたわけだが、それによって、六〇年代以降に形成された安部像に異議申し立てをし、比較的まだ研究が進んでいない五〇年代の様子を明らかにしてみた。