本研究は、現代(1980年代から90年代まで)インドのヒンドゥー・ナショナリスト運動が発する一群のイデオロギー言説の分析である。日本で「ヒンドゥー至上主義」「ヒンドゥー原理主義」などと呼ばれるこの勢力を主導するのは民族奉仕団(RSS)、インド人民党(BJP)、世界ヒンドゥー協会(VHP)などの組織である。
一次資料としては、そのトップ・イデオローグたちが書いたものや、語ったものの記録を用いた。言語はほとんど英語である。ごく限定的に、ヒンディー語資料と独自のフィールドノートを用いた。
第2章はヒンドゥー・ナショナリズム史の概観をおこなう。とくに、1980年代と90年代という時期の意味を明らかにする。第3章では、彼らのイデオロギーの中核概念「ヒンドゥー・ネイション」の意味内容が明らかにされる。第4章は、「ヒンドゥー文化」「ヒンドゥー的価値観」「ヒンドゥー的生のあり方」「ダルマ」「ヒンドゥーイズム」「霊性」等々の概念が分析される。第5章では、とくに一宗教としての「ヒンドゥー教」構想が分析される。また、「マハトマ」ガンディーとの比較もおこなわれる。第6章ではヒンドゥー(イズム)の没落と再興という物語が分析対象となる。第7章では、「一神教」批判が検討される。そして第8章では彼らの文明化・近代化・開発に関する立場から明らかにされる。結論部は大きく二つのパートに分かれる。最初のパートでは、それまで行われた諸分析を総合して、現代のヒンドゥー・ナショナリスト・イデオロギーの構造解析がなされる。
その結果、彼らのイデオロギーの比較的安定した構造として、一つの大目標、二つの行動計画、二つの行動指針が抽出される。大目標とは「現代世界においてヒンドゥー・ネイションとインド国民国家の偉大さと強さを実現すること」である。行動計画の第一のものは「ヒンドゥー・ネイションを強化もしくは組織化する」、同じく第二のものは「文化、宗教、経済、政治、軍事などあらゆる分野でインド国民国家を格上げさせる」である。行動規範の第一のものは、「自己防衛と尊厳という大義によって裁可を与えられたとき、暴力を行使することにためらってはならない」であり、第二のものは「あらゆる場合において統一性を多様性に優先させよ。インド国内における構造的暴力については、これに沈黙せよ」である。
結論部第ニのパートは、現代宗教論、とくに「宗教復興」論のなかにヒンドゥー・ナショナリズムを位置づける。最初に指摘されるのは、反世俗・反近代・反西洋などの契機をあまり強く読み込むべきではないという点である。それは単にヒンドゥー・ナショナリズム理解を妨げるだけではなく、他の「宗教復興」の諸事例との比較を地政学的な固定性に閉じ込めてしまうと論ぜられる。
次に指摘されるのは、現代宗教論における宗教分類学の留意点である。ヒンドゥー・ナショナリズムを「宗教復興」との関わりで主題化しようとする場合、「ヒンドゥー教」という概念を所与のものとして扱ってはならないと論ぜられる。それは、「ヒンドゥー教」とナショナリズムの宿命的な連動のためでもあり、またヒンドゥー・ナショナリズムによる「ヒンドゥー教」の標準化と専有の企てに取り込まれないためでもある。ここでも先と同様、宗教分類学の地政学的な固定化について批判が向けられる。特定領域と特定宗教を特権的に結びつけてしまう視座を廃し、通地域的な比較の視座をもつべきことが推奨される。