小稿では、日本旧石器時代の先史狩猟採集民の居住行動を研究対象としている。先史時代の狩猟採集民の生活は、過去に存在した特定の生態環境に適応することで果たされていたと考えられている。そのため先史時代の考古学研究は、生態環境へのかれらの適応状態を、考古遺物を通して実証的に評価していくことが中心となる。生態環境への適応状態という課題に対しては、様々な問題の設定されているが、居住行動に焦点を絞る検討方法は、予想される多くの問題を重層的に考察する上で有効である。
生態環境への適応が、かれらの行動の基本的な原則であれば、移動・居住行動は生業資源の分布やそれに応じた探索・獲得活動に直接的に規定されたと考えられるが、日本の旧石器時代資料は有機質資料に非常に乏しいため、生業活動の対象となった動植物相を直接検討できない。しかし、生業活動に利用された石器の材料である石材もまた資源であり、その獲得と消費に関わる行動は、狩猟採集民の移動・居住行動を強く反映するという見通しが得られている。むしろ日本の場合、この時代の居住行動を検討するための、ほとんど唯一の材料というべきである。このため、この時代の居住行動を検討するために、石材運用の実態を分析対象としている。
石材分析による居住行動研究は、北米と日本で研究関心と方法論を共有しているものの、日本ではそのうち、石材消費過程を生業領域内の活動に結びつける極めて論理的な分析法が特に発達している。その分析法は論理的であるがゆえに、対象とする資料のコンテクストを考慮しないと、過度に単純化され、一般化される傾向がある。分析対象とする居住行動は地域環境のコンテクストに規定された極めて複雑なシステムと推定されるため、提案されたモデルが実態と合致しない例も多く認められる。また、石材の獲得や消費の一側面に焦点を当てて居住行動を研究する例は、北米でも日本でもともに数多くの実践がなされているが、分析の対象としている石材の運用が当時の居住行動の如何なる部分を説明しているのかが判然としていなかったために、一面的な結論が敷衍化され原因となっていた。
小稿の研究ではこの問題を克服するために、居住行動を規定する行動論的な背景に沿って分析対象を区分した新しい分析方法を導入する。小稿の目的の第一は、この新しい方法論の提示であり、第二はその実践による新しい地域モデルの提示であり、第三は地域モデルの解釈から導き出されるこの時代の歴史的変遷の評価である。
小稿の分析の特徴は、北米と日本の先行研究の批判的な継承により、居住行動のための石材分析を次の3つの範疇に区分した点にある。第一は大形刺突具の調達方法の検討であり、第二は石材消費戦略の検討であり、第三は石材獲得戦略の検討である。この三者の因果関係・相関関係が考慮された居住行動モデルが描かれることになる。居住行動の時期的な変遷は、各範疇の変化に動機付けられており、変化の方向性には、生態学的モデルの概念の援用により一定の歴史的な評価が与えられる。
検討対象資料は関東地方の後期旧石器時代資料とし、後期旧石器時代前半期から後半期(主に立川ロームⅨ層下部から砂川・東内野石器群までの時期)を扱っている。
検討の結果、後期旧石器時代の前半期は、生業経済に対する予測可能性が高まる時期、前半期から後半期への移行期は、生業計画性の精度が高まる時期、そして後期旧石器時代後半期は生業領域内に中心地が発生する時期として評価された。また、各時期の居住モデルにおいて、詳細な移動領域や移動ルートが推定された。この点もまたこれまでの研究例では提出されていない成果であった。以上の成果は、小稿で新しく提示した石材分析による居住行動研究の有効性を示していると考えられる。