本研究の特性は、史料の活用法と分析手法にあるといえる。すなわち、序章で詳述した史料の類型とその特質・成立の構造は、史料テクストにある言説をいかに評価するかについて判断の基準を与えてくれるだけでなく、各テクストの持つ「歪み」そのものが、テクストに配置されたここの文言以上の情報を提供する。とくに第3章で展開した「ダゴメ・ユデクス文書」の成立に関する考察は、その最たる例である。「史料乏しき時代」を研究対象とする初期中世史家がみな認めることは、史料証言のないことについて客観的立場を装って沈黙するのではなく、歴史的構想力をもって、そして全体構造を明らかにすることによって、復元を試みることが歴史家に要請されることだということである。
いまひとつの特性として指摘した分析手法とは、考察対象となる時間と空間の設定にある。全章を通じて、「紀元千年期」という大枠のなかで、時間の定向的経過ではなく、時間の進行を問題に応じて調節しながら構造的特質を分析した。
序章を含めた諸章を通じて明らかにされたことは、つぎのことである。
紀元千年期(955-1002/1025)の世界は、「伝道的空間」という聖性構造を持ち、それは復活した皇帝権と、これと結びつくことで再生した教皇権と、時代を貫き、そして紀元千年へ向けて高揚していくラディカルな霊性を体現する伝道師=殉教者の三者が織り成す世界であった。それは証書や図像というメディアを通じて喧伝され、ローマを訪れ、ローマを後にする人々の行来によって普及せられた。序章において分析された多様な証言もまた、こうした空間の特性に生い立ちをもつことも忘れてはならない。
こうした聖性構造をもつ紀元千年期の空間の中で、君主と君主は、水平的な友誼盟約関係(アミキチア)や、伝道者と改宗者とのあいだで結ばれる代父子関係や、明確な優劣関係としての貢納関係を、公示性をもつ集会(復活祭や宮廷議会、教会会議など)の場を利用して築きあげた。
11世紀後半のグレゴリウス改革の時代に、枢機卿デウスデーディットによって編纂された『カノン法集成』は、唯一「ダゴメ・ユデクス文書」を伝承する史料である。その単純な内容が内包する、紀元千年期のポーランドにとってもっとも貴重な情報は、ありとあらゆる想定を許容する。第3章では、従来テクスト分析によって解釈が試みられてきた同文書について、それを伝えるデウスデーディットの著作の構成に関する綿密な考証を通じて、同文書の由来を明らかにしようと試みた。その結果、11世紀後半に、グレゴリウス7世による教皇首位権の主張のために作成された偽文書である可能性は排除され、同文書が、10世紀の末に、譲渡行為の主体である公ミェシュコを発給者として、羊皮紙文化圏に属する、したがって教皇庁以外の尚書局の協力のもとで作成された、という仮説を立てることができた。
紀元千年とローマとに向けられた時間と人の流れは、伝道と殉教という理念に突き動かされて、東方へと向かう。第4章では、序章の冒頭で掲げた「グニェズノ巡幸」の意義について、史料証言を網羅し、そこに含まれる内容を検討した上で、それがオットー朝(オットー3世)の側から見るときには、福音書の献呈図に見れるような、ローマから始まり、スクラヴォニア、ゲルマニア、ガリアを経て再びローマへと回帰する巡礼の道行きであり、また再生された帝国の姿を世界に示し、黄金のローマを完成させる政治表象の儀礼であることが、あきらかにされた。しかしそれはポーランドの側から見たときには、辺境伯になることを目指したミェシュコと、キリスト王になることを目指したボレスワフ・フロブリによる模倣の試みであった。グニェズノからマクデブルクを経て、アーヘン、そしておそらくローマまで同行したボレスワフは、聖アダルベルトに具現されたラディカルな霊性の世界に共感し、帰国後、プルス人への伝道を支援する。
グニェズノがこうした模倣された聖なる王国の中心となるべき場所であったのに対し、1030年代にこれに代わって首府となるクラクフは、ポーランドのナショナルな統合の求心点となっていく。グニェズノからクラクフへ、これは紀元千年の君主が夢想した聖なる国から、強固な組織に支えられた現実的なポーランド国家への転換を象徴しているのである。