戰國中晩期から漢代初期にかけて、「名」は極めて流行し、相當に重要視とされたテーマである。政治思想の立場から見ると、このテーマは大體二つの道筋に分かれ、一つは言語の角度からのもの、もう一つは名分制度の角度からのものである。この二つの角度に共通點があり、それは兩者の目標がともに秩序と規則の形成に目指しているということのである。思想の統一、等級制度と社會分業の完備、また臣下の督責、このような君主專制制度の存亡と關連する問題がいずれも「名」と關係する。當時の著作を見ると、「名」に言及がないものには、却って奇異な印象を覺えてしまう。このような「名」に對しての關心の高さが、「名者、聖人所以紀萬物也。」(名は、聖人の萬物を紀す所以なり)(『管子』心術上篇)、「名者、天地之綱、聖人之符。」(名は、天地の綱、聖人の符なり)(『群書治要』に所収する『申子』大體篇)、「名正則治、名喪則亂」(名正しければ則ち治まり、名喪わるれば則ち亂る)(『呂氏春秋』正名篇)、「至治之務、在於正名」(至治の務は正名にあり)(『呂氏春秋』審分篇)のように、名に驚くほどの高い評價を與えることになった。こうした「名」に關する奇妙な現象の要因は、實は法治國家形成過程において、規範・準則の役目とその意義を過剩に求め崇拝したからと考えられる。逆に言えば、それはまさに君主地位が不安定で、法治國家の體制が完備してないということの證明ではなかろうか。「名」の思想について全面的に整理すれば、さらに全面的に深く中國古代政治思想史を理解するのに役立つであろう。しかしこの方面の研究はまだ誰も行っていない。
本論は、上編において、四章を設けて、名稱に關する政治禁忌、政治思想としての「正名論」・「名實論」・「形名論」、二種の名家、「名」と「法」の接點などの「名」に關するもっとも重要な政治問題を分析した。下編において、五章を設けて、孔子の「正名」説、『荀子』の正名篇、『管子』四篇と『韓非子』四篇、馬王堆帛書『黄帝四經』、『尹文子』を取り入れ、個別な分析と研究を行った。
なぜ後の時代の名思想は名稱に關する神秘的觀念の展開或いは延伸であると見てもよいのか、なぜ「聖人」だけ物を知ることができ、物に名付けることができるような神話を作るのか、なぜ「形名論」は「正名論」「名實論」より遲い時代に登場したもので、特に黄老思想との關係は深いなのか、なぜ二種類の名家を區分することが必要なのか、なぜ「名」と「法」は同質の性格を持っているのか、なぜ孔子の「正名」説は「名分論」「名實論」と直接關係がないのか、なぜ『荀子』正名篇の前半部分と後半部分をともに重視すべきか、なぜ君主專制制度にとって「道」「名」關係が必要なのか、なぜ「道」・「名」・「法」三者關係から『黄帝四經』の思想構造を分析すべきか、なぜ「名」の政治思想史にとって『尹文子』の研究する價値はとごにあるのか、などの問題に對する分析は本論の見どころであると思う。