本書は近世後期上方の口語のあり方について、その概観を示すとともに、いくつかの特徴的な問題について、個別的に論じようとするものである。
そもそも国語史上における後期上方語とは長らく中央語として勢力を誇った上方語が如何に変容を遂げたかという歴史の最終章にあたる。従って、その研究の必要性はあえて言うまでもないのであるが、残念ながらこれまで殆ど研究がなされてこなかった。基礎研究も今のところ殆ど整備されていない状況にあり、例えば前期上方語における基礎研究としては湯沢幸吉郎著『徳川時代言語の研究』が不朽の名著として今なお重んじられているのであるが、後期上方語にはそのようなものがない。
また、後期上方語は関西弁、つまり現代近畿方言の源流として大きな役割を果たした言葉なのであるが、楳垣實の『京言葉』や前田勇の『大阪弁の研究』といった昭和前期近畿方言研究の名著でさえ語史関連の記述には誤りと思われるものがまま見られる。こうした誤謬は後期上方語を精査することで正される部分も多いのであるが、残念ながらそうした誤りが現在定説となっている場合が少なくない。そうした誤った定説化の責任はむしろ後期上方語を等閑にしてきた学界側、国語史研究者側にあると言うべきであって、学界全体として早急に後期上方語の重要性を再認識する必要があるのである。
そうした状況を踏まえ、本書では『徳川時代言語の研究』と『京言葉』『大阪弁の研究』を結ぶための基礎作業を積極的に進める。具体的には概論的な第1~3章および調査報告的性格を持つ第4章、第7章であるが、それ以外の章においても用例を多く掲出することで基盤整備の一翼を担いたい。調査資料も出来るだけ多く使用し、全体像を明らかにする事に努める。また全編の議論が文法や音韻といった特定分野にとどまらず、音韻、表記、語法、待遇表現等、多岐にわたるが、これも意図的な方針である。可能な限り広範な問題を扱うことによって後期上方語の基盤整備に寄与できるのではないかと考えるためである。
基盤のないところになんらかの説を構築してみたとしても、それは単なる砂上の楼閣に過ぎない。しかるに基盤のみではその先の進展は依然として暗闇に閉ざされたままである。そこで本書では基礎研究とともに個別的な現象についての特殊研究を同時並行的に行うことによって、今後の研究の進むべき方向について、筆者なりの提案を行う。形容詞ウ音便関連の第5章、第6章、および連用形命令法関連の第8~12章にあたる。
そもそも国語史上における後期上方語とは長らく中央語として勢力を誇った上方語が如何に変容を遂げたかという歴史の最終章にあたる。従って、その研究の必要性はあえて言うまでもないのであるが、残念ながらこれまで殆ど研究がなされてこなかった。基礎研究も今のところ殆ど整備されていない状況にあり、例えば前期上方語における基礎研究としては湯沢幸吉郎著『徳川時代言語の研究』が不朽の名著として今なお重んじられているのであるが、後期上方語にはそのようなものがない。
また、後期上方語は関西弁、つまり現代近畿方言の源流として大きな役割を果たした言葉なのであるが、楳垣實の『京言葉』や前田勇の『大阪弁の研究』といった昭和前期近畿方言研究の名著でさえ語史関連の記述には誤りと思われるものがまま見られる。こうした誤謬は後期上方語を精査することで正される部分も多いのであるが、残念ながらそうした誤りが現在定説となっている場合が少なくない。そうした誤った定説化の責任はむしろ後期上方語を等閑にしてきた学界側、国語史研究者側にあると言うべきであって、学界全体として早急に後期上方語の重要性を再認識する必要があるのである。
そうした状況を踏まえ、本書では『徳川時代言語の研究』と『京言葉』『大阪弁の研究』を結ぶための基礎作業を積極的に進める。具体的には概論的な第1~3章および調査報告的性格を持つ第4章、第7章であるが、それ以外の章においても用例を多く掲出することで基盤整備の一翼を担いたい。調査資料も出来るだけ多く使用し、全体像を明らかにする事に努める。また全編の議論が文法や音韻といった特定分野にとどまらず、音韻、表記、語法、待遇表現等、多岐にわたるが、これも意図的な方針である。可能な限り広範な問題を扱うことによって後期上方語の基盤整備に寄与できるのではないかと考えるためである。
基盤のないところになんらかの説を構築してみたとしても、それは単なる砂上の楼閣に過ぎない。しかるに基盤のみではその先の進展は依然として暗闇に閉ざされたままである。そこで本書では基礎研究とともに個別的な現象についての特殊研究を同時並行的に行うことによって、今後の研究の進むべき方向について、筆者なりの提案を行う。形容詞ウ音便関連の第5章、第6章、および連用形命令法関連の第8~12章にあたる。