「社会参加仏教」とは
近年、欧米では、世界各地域における仏教徒や仏教団体による様々な社会活動、環境保護運動、政治運動、などへの参加、つまり仏教の「対社会的姿勢」を示すために「SociallyEngagedBuddhism」や「EngagedBuddhism」という用語が用いられている。「社会参加仏教」は発表者による「SociallyEngagedBuddhism」・「EngagedBuddhism」の邦訳である。本研究の課題は、世俗化、機能分化された近代社会における仏教の社会的関わりが如何なる現象であるのか、ということを検討し、とりわけ、筆者が調査してきた二つの仏教団体、法音寺及び立正佼成会の事例を通じて、日本の文脈において「社会参加仏教」の特徴を明らかにすることである。

日本における「社会参加仏教」のパターン:四つの次元における仏教の社会参加
本研究では、近代日本仏教の「社会参加」のパターンとして「国家化・国家主義化」、「社会化」、「大衆化」と「国際化」を指摘する。この4つのパターンは、「国家」、「社会」、「大衆」と「国際」の各々の次元において仏教者や仏教団体の「社会参加」の在り方を検討するものである。日本仏教の「社会参加」における「国家化・国家主義化」は、近代日本仏教が国家主義的なイデオロギーを取り入れ、社会活動を展開することである。「社会化」は、仏教が近代社会における自らの役割・存在意義を教団・宗派の境界を乗り越えて、一般社会との関係において見直そうとしていることを示す。日本近代仏教の「社会化」として具体的には、①仏教諸宗派間のネットワーク・結社活動②社会事業・福祉活動への参加③仏教について新しい学問的関心、学術研究の隆盛、が挙げられる。「大衆化」は、仏教者が一般大衆のための社会活動の担い手となっていることを指す(大衆参加)。「国際化」は、近代日本仏教による国際レベルでの活動が、海外布教に限らず、海外援助活動、様々な国の仏教団体との交流などへ展開していることを示す。

日本における「社会参加仏教」の事例としての法音寺と立正佼成会
本研究においては、日本における「社会参加仏教」の事例として、日蓮系仏教団体である法音寺と立正佼成会を取り上げる。
法音寺は三人の宗教者、創立者の杉山辰子、協力者として努めていた医師の村上斎、そして法音寺を開いた鈴木修学の宗教活動並びに福祉活動によって創立された日蓮系の仏教団体である。明治四二年に名古屋で杉山辰子によって法音寺の前身である仏教感化救済会が開教されたことに遡る。前身の仏教感化救済会また現在の法音寺では、法華経への信仰による精神的救済と、医学など近代科学的方法に基づく社会事業による身体的救済とを合わせた救済活動が行われている。
近代化以降、日本仏教による福祉活動は、近代的知識を積極的に取り入れることによって前近代の慈善活動から近代的な福祉活動への脱皮を図っており、法音寺にも同様の傾向が見られる。これが、法音寺による社会参加の「社会化」である。また、社会変化と共に法音寺による福祉活動の内容も変化している。以前のハンセン病患者保護活動から児童福祉、高齢者福祉そして福祉教育の分野へ拡大されてきた。また、法音寺は日本社会の福祉に関するニーズへの対応として日本福祉大学を設立した。これが法音寺の社会参加の「大衆化」である。
「社会参加仏教」のもう一つの事例として法華系の新宗教団体である立正佼成会を取り上げる。立正佼成会は、昭和十三年、庭野日敬と長沼妙佼によって設立され、昭和四四年に庭野が「明るい社会づくり運動」(明社運動)という地域運動を提唱した。明社運動の背景には、立正佼成会、とりわけ庭野日敬による宗教協力及び世界平和活動への進出があり、立正佼成会の海外援助活動、平和活動は、地域レベルで行われている国際貢献活動の延長線上にある。立正佼成会の社会参加においては「国際化」は重要な側面である。立正佼成会の社会参加のあり方は、他の宗教団体、市民団体などとのネットワークづくり・結社活動を通じての社会活動の実践、教団による社会活動の「社会化」を示している。さらに、明社運動における国際貢献活動・社会活動は地域住民にできる奉仕活動であり、「大衆参加」的な側面を現している。こうした社会参加は、社会問題に実践的に取り組みながら人々の精神的な高揚を図るのが特徴である。
以上、本研究は、近代仏教の「社会参加」が、宗教活動のみならず様々な社会活動にもかかわるものであり、その影響が仏教界に限らず、一般社会にも及んでいることを示すものである。この研究は、宗教の公的役割に関する従来の研究の再検討だけでなく、近代日本仏教の研究に対して新しい視点を提供しようとするものである。