本論文は、南シナ海における関係国・植民地政府間の島嶼、海域の領有権問題を分析するものである。現在の行き詰まった状態の起源は第二次世界大戦の直後から、当事国が自らの立場を固めてきた結果であったが、これを理解するため、植民地主義・帝国主義下の20世紀初頭から、1951年のサン・フランシスコ会議までの20世紀前半の期間を中心に、南シナ海の領有権紛争の歴史および歴史叙述をまとめたのが本研究である。
第一章では、明朝・清朝時代においての南シナ海の知識に関する紹介である。当時のおもな資料・地図に見られる「南海」の地理的知識と、当時の王朝がその海域を統制していたということとは異なる、という点から歴史的議論を始め、中国側による四つの群島の主張をめぐる歴史的な根拠の分析を深める必要があるということを強調する。さらに、20世紀初頭から太平洋戦争まで、この領有権の問題をめぐる直接的な当事者として中国、フランス、日本の各政府による措置を分析し、とくに現在の中国、ベトナムの立場の根拠をいわゆる「神話的な歴史叙述」(mythicalhistoriography)として批判的に分析する。一方、日本側の立場については、20世紀初頭の経済・社会・政治・軍事的な列強諸国の拡大という複合的な過程のなかで、この海域に見られた様々な利益の網の目と、日本人による経済開発など様々な活動が当時の地政的な枠組みに従属していくその過程を対象とする。最後に、太平洋戦争勃発までの時期において、イギリスとアメリカがどの程度まで南シナ海の海域、島嶼に関与したのか、イギリスの地域的な優先事項のなかで、南沙群島に対する自らの主張はどのような役割を果たしたのか、またフィリピンおよび西太平洋海域を中心とする地政的な優先事項の中で、アメリカが南シナ海の海域全体をどのように見なしていたのかどうか、という検討もおこなう。
第二章では太平洋戦争直後から1946-52年という過渡期を中心とし、自らの主張に関する中国側の歴史叙述を詳細に検討し、南シナ海をめぐる現在のいわゆる海洋政策の起源として、当時とられた措置の特徴を明らかにする。一方、太平洋戦争終了直後からの、フランス、イギリスによる島嶼の主権を中心とする主張の復活、という問題も扱う。とくに両国が南シナ海の島嶼の経済的・地政的な重要性を、東南アジアにおける他の優先事項と、どのように関連していたのかという点を吟味し、また戦後から始まった脱植民地化の過程における政策の特徴を検討する。さらに、フィリピンについては、「フリーダム・ランド」の発見にまつわる出来事の概要を述べ、この活動に対しての政府の態度について検討し、フィリピン側の主張の根拠を分析する。最後に、1951年のサン・フランシスコ会議において南シナ海の島嶼の返還という問題が適切に解決されなかった理由を検討する。
第三章では社会・経済的分析により1902-52年の領土紛争の研究を補足する。まず、南シナ海を華僑・華人および日本人による移動がおこなわれていた海域と見なし、これら移民の移動が地域の経済活動(貿易、漁業など)に大きな影響を及ぼしていたこと、さらに関係国による島嶼の領有権の主張にどの程度まで影響を与えていたのか、などの点を論じる。さらに、沿海・環海・連海として捉えられる南シナ海の海域の複合的な性質を明らかにする。とくに20世紀前半の西洋列強の植民地主義的な意図の中で、貿易、運送業、漁業などは、各国が領有権を主張する島嶼においてどのような重要性を持っていたのか、またその海域および属する島嶼は沿岸国の自らの経済的な優先事項の中で、どのような重要性をもっていたのか、さらに中国人、日本人の漁民の活動と島嶼の領有権をめぐる両国の政策とはどのような相互関係があったのか、といった論点を検討する。最後に、国境を越える海域としての南シナ海をめぐる概念的な分析において、「中心」と「周辺」および「中央」と「地方」の間の緊張、という観点からこの領土紛争を分析する。このダイナミズムのもとで、各国政府が一方的に「海の辺境」を編入しようとした過程を描写し、またこの「周辺地域」における中央政府による南シナ海の海域・島嶼の統制という問題を検討する。
本研究で特に強調したい点は、第一に、南シナ海の歴史・歴史叙述の根拠を構成する当時の出来事のいくつかが、様々な研究においてしばしば無視されたり軽視されたりしているが、様々な論点から検討することで、よりバランスのとれた研究とすることができるということである。第二に、20世紀前半の南シナ海の紛争をめぐる歴史、歴史叙述の分析を補足するためには、地政的・法律的な観点と並んで、幾つかの方法論的なアプローチが不可欠であるということである。“南シナ海の問題”をめぐっては、大部分の研究が法律的・地政的な分析を優先させているが、当事者の行為を完全に理解するためには、歴史的な分析で他の局面を補足することが必要ではないだろうか。