本論文は、近世日本を代表する儒学者の一人である伊藤仁斎(1627‐1705)の思想内容を、倫理学的な関心から読み解き、その構造を明らかにしようとするものである。それは一言で言えば、人間の存在と当為を倫理はいかにつなぐか、という問題に対する、仁斎の解答を窺う考察となる。仁斎の説いた倫理は、「道徳」であった。そして、存在/当為の問題系にあたる仁斎の枠組みが、「道徳」における「本体」/「修為」である。本論文は、「本体」と「修為」という概念を、仁斎がいかに区別し、連絡したかを明らかにする。
各章の内容に沿って要旨を述べる。第一章・第二章では、人間観・道徳観を考察する準備として、仁斎の天地自然観を扱う。仁斎は「天地」を、窮まりなく生き動くもの、として把握した。ところが「天地」の動態(=「天道」)は、「人」にとっては何よりも、その生に様々な吉凶禍福をもたらす摂理(=「天命」)として意味を持つ。人知・人為を超えた「天道」「天命」は、「人」が「道徳」を十全に実現した先にはじめて捉えられる。
第三章では、上を受けて、「道徳」を仁斎がどう捉えたかを考察する。「道徳」は「本体」「修為」という二つの視点から捉えられる。「本体」とは、天地と同じように生き動いて日々を暮らす全ての人間存在が、当の動態においてそのまま価値の実現を志向するという、一見オプティミスティックな「道徳」把握である。一方「修為」は、一個の主体としての「己」が、「善」の実践につとめ続けて「道徳」を実現していくという、努力と修養の側面である。両者が混同すべからざる二側面であることを仁斎は意識していたが、しかしなお両者を一体な「道徳」観のうちに連絡させていた。
第四章から第九章までは、「修為」の側面を詳細に腑分けして、考察するものである。
「修為」を実践する主体としてある一個の「己」を、仁斎は「善」なる存在として捉えた。しかしそれは、「己」という小さく限られた場における「善」の発動として、あくまでも「善」の「端本」でしかあり得ない。したがって、「性の善」は、これを「天下」という人倫全体という場にまで「拡充」していく努力=「学問」を要請する(第四章)。「学問」は、「忠信・忠恕」と「読書学文」とに分けて捉えられる(第五章)。「忠信」とは、「己」の存在を余りなく投げ出すこと(「朴実」「誠実」)であり、「忠恕」とは、「人」の存在を深く察し続けること(「体察」「寛宥」)である。「忠信」が一回的・一方向的であるのに対して、「忠恕」は反照的・持続的である、という対比関係が認められるが、しかし両者は相即し、一体である(第六章)。他方「読書学文」とは、経典=「教」としてある『論語』『孟子』を読み学び理解することである。それは、「己」自身の生を知ること=〈自覚〉の営みであり、「教」はそれに不可欠な媒介者である。しかし、その雛形は、具体的な他者を媒介とする「忠信」「忠恕」にこそあった。「己」の存在を投げ出し、「人」の存在を察し続けることは、「人」の存在を媒介者として「己」自身の生を自覚する営みでもある(第七章)。
「拡充」の出発点には、自他間にある厳然とした「隔阻」が設定される。しかし「性の善」の発動を「端本」にして、「忠信」「忠恕」「読書学文」を実践し続けることは、この「隔阻」を泉や炎のごとく永久に乗り越え続けさせ、ひいては「天下」的規模における「人」「己」の合一をおのずから実現させる。ここに「仁」「義」という「道徳」は十全に顕現する(第八章)。
ところが仁斎は一方で、「拡充」とは逆のベクトルをどこまでも認めていた。これは、「拡充」の出発点が、「性の善」であるにも関わらず、同時に自他間の「隔阻」でもあること、また「拡充」の勢いが自然なものであるにも関わらず、同時に個々のたゆまぬ実践の努力はあらゆる瞬間に断ち切られ得ること、などによって窺われる。「修為」が「修為」として検討される限り、こうした否定面を完全に脱した、「本体」との連絡は確保出来ない(第九章)。
第十章(終章)では、「修為」からは区別されるべき「本体」の位置を念頭におき、しかしやはり「修為」と「拡充」の仕組みを、そのまま「本体」のありかを保証する仕組みとして、捉え直す。その鍵となるのは、「忠信」「忠恕」が、〈実践〉即〈自覚〉という構造を有していたことである。「善」を志向する「修為」の実践は、そのまま「本体」(=「己」と「人」が相互の行為連関のうちに生き動いて有るということ)の自覚であった。
伊藤仁斎は、当為の実践がそのまま存在の自覚である、という形においてその独自な倫理学を構築した。その根拠は、目前にいる他者への「忠信」「忠恕」の中にこそ求められる、という結論がここに得られた。
各章の内容に沿って要旨を述べる。第一章・第二章では、人間観・道徳観を考察する準備として、仁斎の天地自然観を扱う。仁斎は「天地」を、窮まりなく生き動くもの、として把握した。ところが「天地」の動態(=「天道」)は、「人」にとっては何よりも、その生に様々な吉凶禍福をもたらす摂理(=「天命」)として意味を持つ。人知・人為を超えた「天道」「天命」は、「人」が「道徳」を十全に実現した先にはじめて捉えられる。
第三章では、上を受けて、「道徳」を仁斎がどう捉えたかを考察する。「道徳」は「本体」「修為」という二つの視点から捉えられる。「本体」とは、天地と同じように生き動いて日々を暮らす全ての人間存在が、当の動態においてそのまま価値の実現を志向するという、一見オプティミスティックな「道徳」把握である。一方「修為」は、一個の主体としての「己」が、「善」の実践につとめ続けて「道徳」を実現していくという、努力と修養の側面である。両者が混同すべからざる二側面であることを仁斎は意識していたが、しかしなお両者を一体な「道徳」観のうちに連絡させていた。
第四章から第九章までは、「修為」の側面を詳細に腑分けして、考察するものである。
「修為」を実践する主体としてある一個の「己」を、仁斎は「善」なる存在として捉えた。しかしそれは、「己」という小さく限られた場における「善」の発動として、あくまでも「善」の「端本」でしかあり得ない。したがって、「性の善」は、これを「天下」という人倫全体という場にまで「拡充」していく努力=「学問」を要請する(第四章)。「学問」は、「忠信・忠恕」と「読書学文」とに分けて捉えられる(第五章)。「忠信」とは、「己」の存在を余りなく投げ出すこと(「朴実」「誠実」)であり、「忠恕」とは、「人」の存在を深く察し続けること(「体察」「寛宥」)である。「忠信」が一回的・一方向的であるのに対して、「忠恕」は反照的・持続的である、という対比関係が認められるが、しかし両者は相即し、一体である(第六章)。他方「読書学文」とは、経典=「教」としてある『論語』『孟子』を読み学び理解することである。それは、「己」自身の生を知ること=〈自覚〉の営みであり、「教」はそれに不可欠な媒介者である。しかし、その雛形は、具体的な他者を媒介とする「忠信」「忠恕」にこそあった。「己」の存在を投げ出し、「人」の存在を察し続けることは、「人」の存在を媒介者として「己」自身の生を自覚する営みでもある(第七章)。
「拡充」の出発点には、自他間にある厳然とした「隔阻」が設定される。しかし「性の善」の発動を「端本」にして、「忠信」「忠恕」「読書学文」を実践し続けることは、この「隔阻」を泉や炎のごとく永久に乗り越え続けさせ、ひいては「天下」的規模における「人」「己」の合一をおのずから実現させる。ここに「仁」「義」という「道徳」は十全に顕現する(第八章)。
ところが仁斎は一方で、「拡充」とは逆のベクトルをどこまでも認めていた。これは、「拡充」の出発点が、「性の善」であるにも関わらず、同時に自他間の「隔阻」でもあること、また「拡充」の勢いが自然なものであるにも関わらず、同時に個々のたゆまぬ実践の努力はあらゆる瞬間に断ち切られ得ること、などによって窺われる。「修為」が「修為」として検討される限り、こうした否定面を完全に脱した、「本体」との連絡は確保出来ない(第九章)。
第十章(終章)では、「修為」からは区別されるべき「本体」の位置を念頭におき、しかしやはり「修為」と「拡充」の仕組みを、そのまま「本体」のありかを保証する仕組みとして、捉え直す。その鍵となるのは、「忠信」「忠恕」が、〈実践〉即〈自覚〉という構造を有していたことである。「善」を志向する「修為」の実践は、そのまま「本体」(=「己」と「人」が相互の行為連関のうちに生き動いて有るということ)の自覚であった。
伊藤仁斎は、当為の実践がそのまま存在の自覚である、という形においてその独自な倫理学を構築した。その根拠は、目前にいる他者への「忠信」「忠恕」の中にこそ求められる、という結論がここに得られた。