本論文は、ムガル帝国時代のインドでイスラームに影響されつつ活動したゾロアスター教神官団の思想を追究したものである。そして、本論文の意義は、ゾロアスター教思想史上殆ど無視されてきたイスラーム時代の思想動向に焦点を当て、インド各地に散在する写本・石版刷りの資料に依拠しつつ、ゾロアスター教とイスラームの融合過程を実証的に明らかにしたところにある。
しかし、これらの文献群は幾つもの謎を秘めていた。何故、突然16世紀と云う時期にゾロアスター教神官団が活発化したのかも不明なら、彼らの指導者アーザル・カイヴァーンの人間像も思想も曖昧なままであった。それに加えて、彼らは『アヴェスター』の他に新聖典『ダサーティール』を奉じているのである。このような文献が何に由来し、誰が執筆したのか、全然分からなかった。
そこで、筆者の目的は、これらの謎を順次解明し、このゾロアスター教神官団の思想内容、人的構成、活動の動機、伝統的ゾロアスター教との繋がり、イスラーム思想との接点などを明らかにすることに定められた。達成できたかどうか分からないが、本論文はその意図に於いては、これらの謎を全て解き明かすことになっている。
而して、本論文は以下のような流れでこれらの謎に迫っている。
第Ⅰ章では、議論の前提として資料的問題を扱った。第1節では、今のところ判明している彼らの文献を、現代まで網羅した。
第2節では、彼らの資料を最も豊富に所蔵していた在ムンバイーのカーマ東洋研究所に於ける写本の収蔵状況について、詳細にデータを列挙した。
第3節では、彼らに関する、主に『ダサーティール』の言語学的側面に関わる先行研究を紹介した。
第Ⅱ章では、アーザル・カイヴァーンの全体像が資料の許す範囲内で明らかになった。即ち、アーザル・カイヴァーンとは、非正統的な出自で神秘主義に惹かれたゾロアスター教神官であり(第Ⅱ章第1節参照)、「東方神智学」や「クブラウィー教団」に影響されつつ、独自のゾロアスター教神秘主義思想を構築した人物である(第Ⅱ章第2節参照)。
第Ⅲ章では、サーサーン王朝時代のゾロアスター教と「アーザル・カイヴァーン学派」との連続性も明らかになった。即ち、アーザル・カイヴァーンによって形成された「アーザル・カイヴァーン学派」は、哲学思想に関する限り、サーサーン王朝時代の新プラトン主義の系統を継承している(第Ⅲ章第1節参照)。また、彼らは、サーサーン王朝崩壊以降のゾロアスター教に一般的な救世主思想を引き継ぎ、ムガル帝国のアクバル皇帝をその救世主の具現化だと考えてインドへ移住した(第Ⅲ章第2節)。
第Ⅳ章では、聖典論の観点から『ダサーティール』形成の背景が明らかになった。即ち、サーサーン王朝時代以来、ゾロアスター教徒の聖典観はセム的一神教に影響され、それに伴って『アヴェスター』は空洞化した(第Ⅳ章第1節参照)。そして、アーザル・カイヴァーンは、17世紀のペルシアに特有の思想状況に乗じて、この問題を解決するべく新聖典『ダサーティール』を執筆した(第Ⅳ章第2節)。
第Ⅴ章では、アーザル・カイヴァーン没後、弟子たちの拡散する思想状況も明らかになった。即ち、ゾロアスター教の伝統に対する立場の相違から教団が二分される中、伝統主義神官アーザル・パジューは『ザンド・アヴェスター』を援用してアーザル・カイヴァーンの思想を基礎付けようと試みた(第Ⅴ章第1節)。また、ファルザーネ・バフラームとモーベド・シャーは、ゾロアスター教とペルシア・イスラーム思想を一貫して流れる「ペルシア思想史」を構想した(第Ⅴ章第2節)。
総合的な結論を下せば、アーザル・カイヴァーンが創出した「アーザル・カイヴァーン思想」は、サーサーン王朝時代のゾロアスター教の伝統を若干継承しているとは云え、圧倒的に「人造宗教」である。「アーザル・カイヴァーン思想」は、その大部分が理性の産物であるが故に17世紀当時の最新の思想的成果を吸収し得たし、また、一部のゾロアスター教神官から熱烈に支持されて「アーザル・カイヴァーン学派」を形成することに成功したのである。