本論文は,P.Pradhan氏の『倶舎論』校訂テクスト,および,漢訳や他の注釈書等を参照しながら,『倶舎論』「随眠品」の写本に基づく批判校訂テクスト及びその訳注を作成するための第一歩である.また,校訂や訳注にあたっては,テクストの思想背景を明確にするために,『倶舎論』以前の説一切有部文献にさかのぼって,関連する思想背景を探った.
本論文は,二つの部分からなる.第一部は『倶舎論』「随眠品」を中心とする説一切有部における見随眠としての五見の概念に関する考察である.第二部は,『倶舎論』「随眠品」vv.1-11のサンスクリット語の写本校訂テクスト及びその訳注である.また,写本校訂や訳注の作成に不可欠な参考資料である漢訳(真諦訳・玄奘訳)・チベット訳(デルゲ版・北京版)において,写本や他のテクストと相違する箇所が見られるので,それらの相違を示すために,それらのテクストも附している.更に,玄奘訳に対する三つの漢文注釈(『光記』『圓暉疏』『法宝疏』)は,『倶舎論』「随眠品」の内容・出典・主張者を理解するために欠かせないので,玄奘訳のテクストの該当箇所に,それらのテクストを脚注で示した.
vv.1-11に関連する思想背景は多岐に渡るため,本論文(第一部)では,先行研究を参照しながら,最も問題点の多いと思われる〈見随眠としての五見〉(vv.7-9)に特に範囲を限定して考察を進めた.
本論文の構成は次の通りである.まず,第1章において,本論文の位置付けおよび説一切有部論書における五見の位置付けを明らかにした.
次に,第2章の「サット・カーヤ・ドリシュティ(sat-kAya-dRSTi)」では,サット・カーヤ・ドリシュティの概念・定義区分・二十の薩迦耶見等を検討した.また,学者の間に疑念のある,ヴァスバンドゥによるsatの意味や,『順正理論』に述べている「非存在を対象とする認識がある」という記述の批判相手に関する誤解を明らかにするために,それらの該当課題を探った.考察結果によると,ヴァスバンドゥはsatを「壊れるもの」と定義したことが分かった.また,『順正理論』における「非存在を対象とする認識がある」との批判相手は,ヴァスバンドゥではなく,譬喩者であると考えられる.
第3章の「辺執見」では,辺執見の概念・定義区分を明らかにした.また,本章にも最も混乱を招きやすい,サット・カーヤ・ドリシュティ(有身見)と辺執見の定義区分の違いに重点を置いて考察した.考察結果によれば,有身見は五取蘊を我または我所とする見であるのに対して,辺執見は,その我とされる五取蘊を常住または断滅とする見であることが分かった.即ち,有身見と辺執見の生起順序から言うと,辺執見は有身見を前提として,初めて生起しうる,という.これにより,両見の定義づけは厳密に区別されていると考えられる.
第4章の「邪見」では,邪見の概念・定義区分・P.Pradhan氏による校訂ミスによる困惑を検討した.考察結果によって,P.Pradhan氏の校訂本におけるdurgandha-kSatavatをdurgandha-ghRtavatに訂正すべきであることが分かった.
第5章の「見取見」では,見取見の概念・定義区分や,「見取」という呼び名が「見等の取」の省略であることに関する背景を探った.その上で,ヴァスバンドゥがその呼び名の省略について,「戒禁等の取」という呼び名の省略記述とは違って,kilaを附しなかった真相を探った.考察結果によれば,見取見は,概念史において,定義用語・概念の細緻化が行われたが,その定義範囲が,従来の定義と変わらなかったことが分かった.この理由により,ヴァスバンドゥは,その呼び名の省略説明の適切さを黙認して,kilaを附しなかったと考えられる.
第6章の「戒禁取見」では,戒禁取見の概念・定義区分や,「戒禁取」という呼び名が「戒禁等の取」の省略であることに関する背景を探った.その上で,ヴァスバンドゥがその呼び名の省略について,kilaを附して伝説として伝えた真相を検討した.また,同章でも,戒禁取見の断法に関する論議を検討した.考察結果によれば,概念史上の変化で,戒禁取には定義拡大が行われたことが判明した.その定義拡大により,「戒禁等の取」という説明が必要となった.しかし,この説明は,定義拡大以前の戒禁取の定義に相応しくないため,ヴァスバンドゥは,その説明に不信を示すため,kilaを附したと考えられる.また,ヴァスバンドゥは,説一切有部によって設定された道見により断たれる戒禁取に,過失を挙げ,認めようとしなかった.更に,本章においても,今まで考察してきた各見の定義区分を纏めて,各見が重複していない厳密な定義区分を持つことを示した.
最後に,第7章の「顛倒としての見」では,説一切有部・分別論者・経量部における顛倒の本質・設定条件・顛倒の断法の相異点を明らかにした.