本論文は、伊藤仁斎の『中庸発揮』をめぐって、彼の「人倫」論がどのように基礎づけられ、また何をめざしていたかを考察するものである。
仁斎の「人倫」に関する理論を考察するに当たって、本論文において提示した問は、仁斎において、「人間にとって人倫とは必然的な事柄」なのか、そして彼にとって、人間における人倫が必然的な事柄だとすれば、それは如何なる意味における必然なのか、というものである。
仁斎において「人間における人倫」が必然的な事柄になるための「路」は、彼の「道」に関する理解から把握できる。仁斎における「道」とは、端的にいって「人道」である。彼における「人道」は、朱子学が「性即理」によって基礎づけた「理」の意味としての「道」とは異なり、徹底的に「仁義」によって説明される事柄である。ここから、仁斎における「人倫」「道」「仁義」の間の関係が明らかになる。
仁斎における「人倫」は、まず手段的な意味として、「あるべきありよう」ないし「正しい人間関係」を意味する、いわば行為的連関として捉えられる。その際、「道」とは「人倫」によって現される「人倫」の実在として捉えられ、「仁義」とは「人倫」が実践において由らなければならない事柄として捉えられた。
以上の「人倫」「道」「仁義」の間の関係から、仁斎における形而上学的な思考をうかがうことができる。仁斎における形而上学的思考は、「理」を全面に出す朱子学の自然形而上学とは全く異なる。「人倫」「道」「仁義」の関係から把握できる彼の形而上学的な思考から、彼における「人倫」の在り方は、偶然でありながら必然であるものとして捉えられた。
「人倫」が偶然かつ必然という形で押さえられると、実際「人倫」に関わるものとしての「人間」、つまり「誠にするもの」が、「人倫」との関わりのなかで、如何なる位置づけをもちうるかという問題が浮上してくる。
本論文においては、「人倫」とは「人為」「作為」の問題であり、その「人為」「作為」の問題は「教」によって具体化されるものであると考えられた。つまり、「人間」には「教」の問題が課せられることになるのである。また、その「教」は「知る」という行為によって捉え直される。
「教」の問題は「性」に関わる事柄であり、その「教」と「性」との関わりから、仁斎には「変化」の肯定という認識があると考えられた。そして、その「変化」の問題は、儒教における「人倫」の実際の現れ場として想定される「歴史的現実態」としての「政」の段階につながってゆく。それは、仁斎が「政」の段階において、「徳」「位」「時」、ことに「時」という概念を挙げて『中庸』の「三重」を解したことに関わるものである。
さらに、彼における「政」は一人一人が「人倫」を為す場所であるという認識から、「政」の主体は「誠にするもの」であると考えられた。それは、「民本主義」という儒教(とくに孟子)の基本的な考え方に基づくものであるが、さらに仁斎は「人倫」とは「聖人ならざる人間」の徹底的な「人為」「作為」によるものとして捉える考え方から、仁斎における民本主義は伝統的な水準を超えて、いわば「道徳的民主主義」にまで至る可能性をもつものと考えられるのである。
以上、仁斎の「人倫」における考察から、彼の「人倫」は、究極的に「歴史的現実態」としての「政」に辿り着き、その「人倫」を実現する主体である「歴史的現実態」としての個別の人間を明確に捉えるに至って、その意義が確保されたと考えるのである。