本稿は、日本語と韓国語における音声・音韻の変遷を15世紀から18世紀における朝鮮資料(日本語をハングルで記録した文献:日本語学習書4種および日本紀行資料11種)と日本資料(韓国語を仮名で記録した文献7種)の音注の分析を通して通時的に考察する。

第2章と第3章では日本語音韻史の諸問題を、朝鮮資料の音注を用いて分析した。日本語音韻史における分析結果は次のようになる。

1)15世紀においても既に「オ」は[wo]ではなく、[o]であった。
2)「アウ・オウ」は[ou]に合流しているが、「オオ」は[oo(o:)]であって、18世紀までに「オオ」と「アウ・オウ」との合流はまだ完了していなかった。

アウ開音 au > ou > oo[o:]
オウ合音 ou=========== ou > oo[o:]
オホ合音 owo > oo = oo[o:]

3)エ列音の口蓋性は朝鮮資料のハングル音注からは明らかにできないが、韓国語の単母音化を示す例が現れる点を指摘した。
4)17世紀半ばごろに「ツ・ス」の音価は[tsu]・[su]から[tsɯ]・[sɯ]に変わった
5)濁音の鼻音的要素の変遷過程をみると、15世紀には「ザ行・バ行・ダ行・ガ行」に鼻音的要素があったが、「ザ行・バ行(15-16世紀)>ダ行(17世紀)>ガ行」の順に鼻音的要素が消失した。
6)15~18世紀の「カ行・タ行」の清音は、現代東京方言のようなtenseの破裂音ではなく、例えば「カ行」は音声のレベルでは[g]~[g̊]の範囲の実現をする音であった。
7)15世紀の清濁(カ行:ガ行、タ行:ダ行、サ行:ザ行)の対立は基本的に「非鼻音:鼻音」であった。
8)ハ行は大体17世紀に[ɸ]から[h]になった。
9)「チ・ツ・ヂ・ヅ」の破擦音化は15世紀末から16世紀半ばの間に進んだ。
10)17世紀まで四つ仮名は区別できた。
11)「ン」の音価は15世紀においても現代とほぼ同様であった。

第4章と第5章では日本資料を用いて中世・近代韓国語における母音の音価とその変遷、また子音の変遷を考察した。本稿の結果をまとめると、次のようになる。

12)15世紀の「areiaㆍ」という母音は非円唇後舌中母音であり、「ㅓ」は非円唇中舌中母音であった。
13)「ㆍ」と「ㆎ」の変遷の順序は次のようになる。
①語頭の「ㆎ>ㅐ」
②語頭の「ㆍ>ㅏ」
③非語頭(固有語)の「ㆍ>ㅡ」と「ㆎ>ㅢ」
14)二重母音の単母音化は18世紀末までほとんど起こっていない。
15)語音飜訳の分析からは、当時の「ㅈ(j))に口蓋異音があったかどうかは断定できない。
16)「ㄷ(d)口蓋音化」は「ㅈ(j)口蓋音化」より早かった。
17)ㅅ(s)-系子音群は『全一道人』の時代にも語によって子音群として発音されたが、『物名』と『交隣須知』の時代にはいずれも濃音になっていた。
18)ㄴ脱落は18世紀末までほとんど起こらなかった。

本稿では朝鮮資料と日本資料の音注を用いて両言語の音韻史の諸問題を考察し、以上の結果が得られた。今後の課題としては、より多くの資料を発掘する必要がある。特に19世紀以後の文献を分析すれば、日本語のオ段長音および清濁の変遷と韓国語の前舌単母音化と口蓋音化の過程などを明らかにできると考える。