本学位申請論文は、万葉歌の主要な歌の場である宴席及び相聞の内、前者も視野に入れつつ、後者に於ける贈答歌表現を主に考察したものである。考察に当っては、直接に贈答歌表現の分析(第一部第一章)を行うと共に、男と女の負った当時の観念についての考察(第一部第二章)も併せ行った。また、自然性としては女でありながら、一般の女とは異なる性格を持つ遊行女婦も、男と女の関係を別の側面から照らし出すと考え、その歌表現の特質を論じた(第二部)。
次に個々の論、節を単位にその概要を述べる。まず第一部「歌表現の中の『男と女』」の第一章「贈答歌表現の研究」から。その第一節「贈答歌の表現の論理」は、男の懸想、女の反発という贈答歌表現を、発生論的に考察したものである。本論全体の基調はここに示されていると考えている。第二節「道と衢」は、前節で論じた男女の観念、及び道と比較しつつ境界としての衢の具体的な在り様を、巻一二の問答歌表現の中で示そうとしたものである。第三節「俗信問答二八〇八~九歌考」も第一節で説いた原理を、一組の問答歌表現の中に見ようとしたものである。具体的には、眉、クシャミ、紐それぞれの俗信の内実と歌表現との関係を考えつつ、男と女の非対称性について論じた。第四節「天智天皇と鏡王女の贈答歌について」では、表現に親和を見るか挑戦、反発を見るかで理解が分れている論題の贈答歌を取り上げた。歌垣から万葉贈答歌という流れの中で、実質的な相聞歌の最初に置かれたこの二首の性格をどのように捉えるかは、贈答歌表現の考察にあたり重要と考えた為である。本論文は述べたように宴席歌も視野に入れている。宴席で歌われた歌謡、催馬楽の表現から宴の論理を考えたのが、第一章補論の「催馬楽『陰の名』考」である。
次は第二章「歌言葉に見る『男と女』」である。旅人の安全は家に残る妻との共感関係の中で守られた。第一節「羈旅歌に見る『斎ひ』をめぐって」は、歌言葉「斎ひ」を通じ、その共感関係の内実を明らかにしたものである。第二節「万葉歌に見る『嘆き』と魂」では、呪的行為としての「嘆き」について考えた。また嘆きと魂の問題を考える中で、袖振り、紐の俗信についても併せ考えた。第三節「恋と噂」は「人言」を通じ、それが恋人達により、周囲の側に向け用いられている事を確認しつつ、恋人達の思いの共同幻想についてその内実を探ったものである。第四節「万葉『隠妻』考」は、「隠妻」には、異性に出逢う前の女が負った観念が集約されていると考え、その通説的理解を否定したものである。また天皇の「いろごのみ」の問題も、歌表現の分析の中で論じた。禊、穢、罪といった古代的観念も男女の関係と関りを持つ。本論文に於ては、第二章の補論「ハラヘ考」として、その中のハラヘの意味をハラヒと比較しながら考えてみた。
第二部は「『遊行女婦歌』表現論」である。そしてその第一章「遊行女婦の相(一)」では、越中に於ける男官人達の宴に参加した遊行女婦の歌を対象とした。そして第一節「楽しく遊べ」、第二節「君に聞かせむ」、第三節「君が挿頭に」と、それぞれ注目すべき歌句を取り上げ、遊行女婦の性格を考えてみたのである。第四節「古歌誦詠」では、性の問題とからめ、遊行女婦の古歌誦詠について考えてみた。
第二章「遊行女婦の相(二)」では、個別に男と向き合う場面に於ける遊行女婦歌について考えた。第一節「左夫流児」、第二節「袖を振る歌」では、男との対の在り様について論じ、次にその特殊性により、他の女では持ち得ない機能を持ち得た事を、第三節「行旅に贈る」、第四節「橘の歌」で論じたのである。
第三章「『遊行女婦』考」第一節「娘子歌を読む」は、残された問題、集中「某娘子」の名で呼ばれる女達の歌表現について、その凡そを遊行女婦歌分析で得た結論を基に読み直してみようとしたものである。第二節「遊行女婦と『男と女』」は、遊行女婦歌を詠む中で考えたその本質を、男女の一般的関係の中で説明しようとしたものである。
最後に景行記に載る大御葬歌一首について、新しい読みを示した「大御葬歌『なづきの田の』再考」を、本論の付論として掲げた。本論の趣旨と直接に関る所は少ないが、歌の読み方の基本的姿勢を示したいと考え、ここに収めた。