イスラーム時代前後のアラブ世界には、「系譜集団(=カビーラ)」と呼ばれる社会的グループの枠組が存在し、人々の生活を様々な局面から規定していた。系譜集団とは、共通の祖先から分かれたと見なされている一種の擬制的な血縁集団であり、太古の人物を基準とする大規模なものから、数代前の祖先を基準とする小規模なものまで、様々な種類の枠組が重層的な構造を形成していたことで知られている。このような系譜集団の枠組は、ジャーヒリーヤ時代のアラビア半島における社会的単位を構成していたばかりでなく、初期イスラーム時代の各征服地においても、軍営都市におけるアラブ=ムスリム軍の居住区を定める単位として、あるいは征服戦争と治安維持活動に従事する部隊の編成単位として、さらには国庫から支給される現金給と現物給の受給単位として、国家機構の中に様々な形で活用されることになった。
アラブ系譜集団の内部構造と相互の親疎関係に関する具体的な情報は、アッバース朝時代(749~936年)に執筆された「系譜学書」と呼ばれる一群のアラビア語史料に詳しく記録されている。しかし、これらの史料に記された情報は、多分に伝説的もしくは人為的に整理された伝承を無数に含んでいるため、アラブ系譜集団の実態を分析するための直接的な史料としては、これまで積極的に利用されてこなかった。
そこで、本論文では幾つかの新しい分析方法を考案し、各種の系譜学書に記されているアラブの系譜体系が整理されてきた具体的な過程を再構成することによって、人為的な整合性の背後に見えにくくなっているアラブ系譜集団の本来の姿を、可能な限り再現することに目標を置いた。
本論文は、全5章と若干の附論から構成されている。
第1章では、当時のアラブが保有していた系譜システムの原則を概説すると共に、南北アラブに含まれる主要な系譜集団の系譜と歴史を網羅的に紹介した。
第2章では、アラブの系譜学が誕生・発展してきた過程を通時的に観察すると共に、彼らの用いた方法論の特徴について考察を加えた。
第3章では、アッバース朝時代の最も代表的な系譜学書であるヒシャーム・ブン・アルカルビーの『大系譜書』を中心的な史料として、そこに記された系譜体系の成立過程を解明するために、各々の系譜情報に附された男女間の婚姻関係に注目して、同書が提示している系譜体系の矛盾点を抽出した。この分析の結果から、アドナーン族(北アラブ)の系譜体系が成立してきた過程には、(1)ムダル系諸集団の系譜確定、(2)一連の婚姻情報の確定、(3)ラビーア族の系譜確定、という諸段階があったとの結論が導かれた。
第4章では、南北アラブに含まれる主要な系譜集団が、『大系譜書』に記された系譜体系の中で、如何なる配列の下に整理されているかという問題を分析した。その結果、カフターン族(南アラブ)の系譜体系は複数の系譜集団が同世代で一挙に分岐する<等位構造>の下に、アドナーン族(北アラブ)の系譜体系は1本の系譜軸から各世代ごとに1つの系譜集団が分岐していく<階層構造>の下に整理されており、それぞれが別個の方法論に基づいて組み立てられているという事実が判明した。
第5章では、幾つかの系譜集団間に見られる連続的な「母祖の供出」という現象に注目し、各々の母祖伝承に現れた集団間の世代関係と、最終的に確定した系譜体系の中における集団間の世代関係とが示すズレを利用しながら、アドナーン族(北アラブ)の系譜体系が確定されてきた過程の再現を試みた。その結果、少なくともラビーア族の系譜構造に関しては、その下位集団が次第に統合されてきた諸段階を具体的に再構成することが出来た。
以上の分析により、ウマイヤ朝時代のアラブ社会では、複数の下位集団を擁する大集団の内部において、親族集団としての漠然とした同族意識は共有されていても、下位集団を結ぶ明確な血縁関係までは意識されていなかったという結論が得られた。