本論文は、栗原朋信の印綬制度研究を再検討し、「内臣―外臣構造」論の批判的継承を試みるものである。
本論文は3部構成をとる。第1部「漢代印綬制度の諸相」では漢代の印綬制度そのものの検討を行う。第1章においては、印綬とくに印がなぜ賜与されたのか、という根本的な問題を議論して、印が「公」の空間における統率の象徴であったことを述べる。第2章・第3章は印綬制度の具体的な整理であり、その過程において、印制と官秩序列の対応、綬制と周制の対応という新たな視点が導き出される。またその画期として、成帝綏和元(前8)年の綬制改革に着目する。第4章では、印および綬の器物としての構造を素材とし、とくに綬には正統観が強く反映され、前漢と後漢の綬制の相違も正統観の相違に起因していたことを指摘する。
第2部「漢代における周制の展開」では、周制の具体的発現の諸形態を示す。第5章では朝位との関係が、第6章では葬礼の格式との関係が明かされ、また綬の所持が朝会儀礼の参加要件であったことも示される。第7章では、官秩序列と周制の分離の契機となった綏和元年改革において周制に与えられた諸機能を、綏和元年の諸改革の内容と関連させて論じ、周制によって中央と地方の相対化と中央の地方統御強化が同時にはかられていたことを明らかにする。第8章では、中央と地方の相対化の理念的背景を『礼記』『周礼』に拠りつつ検討し、それに基づく「封建擬制」が中央と地方の相対化に与えていた影響と、封建擬制と統率の重層構造との相関関係をみる。
第3部「漢の天下観の変遷と冊封体制への道」では、「内臣―外臣構造」の形成史と、その中における冊封体制の胎動を描きだすことを試みる。第9章では、栗原の印綬制度の分析を改めて検討し、印による内臣と外臣の可視的区別は武帝太初元(前104)年の改暦以後に生じたものであることを指摘する。終章では、「内臣―外臣構造」の形成史を概観する。その中で太初元年改革・綏和元年改革が「内臣―外臣構造」の確立と展開に果たした役割について改めて議論し、前者による「内」の統一完成と後者による中朝―中央―地方―夷狄という同心円的多重構造を前提とした国家の成立によって、「内」と「外」が「中華」と「夷狄」に対応し、「内臣―外臣構造」が完成したとする。その上で、綏和元年改革による「封建擬制」の導入が異民族の「封建」をもたらし、冊封体制成立の起爆剤となったことを述べる。また「内臣―外臣構造」において、印が「内」と「外」の区別を担い、綬が周制という統一的位階序列を示していたことは、印が華夷思想、綬が徳化思想と対応していたことを示すものであると捉えられる。