小説家・石川淳(一八九九~一九八七年)の作品は、あるいはテーマ批評的に作品という単位が横断=解体され、あるいは文学史的問題の構図の中に作品が解消されるという恰好で、マクロとミクロとの両極端な観点から作品が引き裂かれ、語り論的アプローチのものを除けば個々の作品を単位とした考察が少なかった。このような研究史の実状を踏まえて本論文が目指したのは、文学作品は何よりもまず一つ一つの作品として読まれなくてはならないという当然の地点に立ち返り、その地点に立脚しつつ個々の作品単位で探究の焦点を調節し、そこに《なにが書かれているか》を丁寧に見ることによって個々の作品を明らかにすることであった。《なにが書かれているか》の解明が従来手薄だった場所でそれを検討することが、やがて《いかに書かれているか》を検討することとも改めて重なって行き、そのことで作品の全貌が明らかにされるはずだからである。
石川淳研究史についてのこのような理解と問題意識とに基づいて、本論文は作家としてのデビュー作「佳人」(一九三五)から敗戦後の「焼跡のイエス」(一九四六)までの石川の代表的作品(評論一篇を含む計十二篇)を発表順に考察した。
歴史的条件の中に、また諸テクストとの関係の中に石川淳の作品群を位置付け、それらの作品群の価値・意義を明らかにすることを目標とし、作品を読むに当たって、同時代の文脈(事象・言説)と、作中のそこかしこに仕組まれた明示的・暗示的なインターテクスチュアリティとに特に注意するよう心掛けた。
考察の結果として多くの作品に共通して浮かび上がった重要な特徴を概観すれば、
①同時代の諸言説・諸事象に対して批評性を伴う形でふんだんに応接し、同時代の文学状況や社会・政治動向に対して散文によって旺盛に働きかけていること。
②筋(物語内容)や登場人物など作品世界内の事物・人物が、先行するテクストや神話的・民俗的・説話的な話型や宗教修行論や教養小説(成長小説)の枠組みなどを踏まえることで重層化され、作品世界に独特の広がり・奥行が作り出されていること。
の二点にまとめられる。いずれも、作中の個々の言葉に密着すること、すなわち《なにが書かれているか》にこだわることから出発した結果、明らかになったことであるが、それらは、明らかに方法化されていることによって、既に《いかに書かれているか》という問いの領域と重なっている。《なにが》という問いの射程が、いやおうなく《いかに》という観点にまで及ぶこととなり、石川作品を読む上での新しい知見へと導くことになった。
これら①②の相互参照的な特徴が作品内部で部分的・断片的に働くのではなく、作品全体の物語構造と有機的に関わっているため、物語の展開そのものが多層的な厚みを持ったものとなっていることが分かった。
このような特徴はまた、人物の内面の実体が希薄化するという事態も生じさせている。「佳人」の《わたし》を例に取って見ると、それはもちろん内面を持った存在としてあり、一人称語りの形式に沿って自らの心理や認識・判断を内面として語りつつ行動するわけだが、しかし、その行動が死と再生といった神話的遍歴譚あるいは禅の修行階梯などと重なり合うとすれば、主体的存在と見えるものが一面では先行する構図をなぞったものに過ぎないということにもなるのである。もちろんそのような先行の構図・形式をなぞり、それに支えられているからこそ、他方で、同時代の事象・言説に応接する時代性を強く帯びた存在として浮かび上がるのである。
このような物語の重層化と人物の内面の相対化は、自然主義から私小説へと向かう形で極まったこの国の近代小説を徹底的に異化するものである。そこでは、〈言文一致〉への努力と共に成立して行った〈内面の真実〉という信憑は手放されている。
すなわち、石川の作品は、型・様式の活用、観念や概念の導入、詩歌・古典など他ジャンルとの緊張と混交、描写よりも説話、といった特徴を具備したものとして、二十世紀初頭の自然主義以降、私小説・心境小説に至る、(内面のあるいは外部の)現実を写すというミメーシス的なリアリズム小説、近代小説史の主流に対する根底的な批評であり、別なる小説史を暗示する強烈な反措定であることが明らかになった。