本稿では、ラーズィーFakhral-Dinal-Razi(d.1209)の宇宙論、つまり物質界と霊界という2つの世界の包括的議論にみられるラーズィーの哲学と神秘主義的要素を分析し、神学・哲学・神秘主義の折衷の様相を検討する。次に、特にガザーリーのAbuHamidal-Ghazali(d.1111)宇宙論と比較しながら、イスラーム思想史におけるラーズィーの宇宙論の特徴を明らかにする。
まず、多様な世界観、宇宙論における天使や霊界の存在論的議論を中心にまとめると以下のようになる。クルアーン、ハディースでは、神と人間との中間的存在として、天上界、地上界を支配する天使が認められている。天使の様態について、神学的原子論と哲学的流出論では見解が異なった。原子論では、すべては原子によって説明され、霊魂や天使は微細な物体とされるので、哲学的な非物質的実体は認められない。世界は神から流出するというイブン・スィーナーの流出論によれば、10の離在知性、9の天球霊魂という非物質的実体が天使と考えられる。
ガザーリーの神秘主義的宇宙論によると、世界はムルク界(現象界)とマラクート界(不可視界)から成り、この2つの世界は正反対であるが、対応関係があり、人間はムルク界、マラクート界、さらに神へと上昇できる。ガザーリーはマラクート界に哲学的存在者を取り入れている。しかし公式的立場としては、すなわち世界全体の存在者分類という神学的議論においては原子論を採用し、議論が統一されていなかった。ガザーリーは神学的原子論の世界観と、哲学的存在者を取り入れた神秘主義的世界観を統合しようとはしなかったと考えられる。
ラーズィーの宇宙論については、存在者分類に哲学の影響がみられた。ラーズィーは、現象界を原子と偶有の合成である物体とし、不可視界を、位置を占めず、位置を占めるものに内在しない哲学的非物質的実体とした。さらにラーズィーは、物質界と霊界の具体的な内容について列挙し、宇宙を階層として捉えており、物質界と霊界それぞれが様々な段階を持つとする。
ラーズィーの神秘主義的宇宙論について、ミゥラージュ解釈を中心に検討した。ミゥラージュとは預言者ムハンマドの天界飛翔の物語であり、しばしば神秘主義的に解釈されてきたのである。ラーズィーによれば、現象界と不可視界には相関関係があり、ファーティハが2つの世界を結びつけている。ラーズィーは、人間霊魂の上昇を霊的ミゥラージュによって説明し、人間霊魂が現象界から不可視界を通して神に至るとした。さらにラーズィーは、ファーティハが唱えられる礼拝を神秘修行と解釈して霊魂の上昇について論じた。
霊的ミゥラージュによって人間は上昇し、神に達し、ファナーに至る。ラーズィーは、神学的原子論と哲学的離在実体の融合した世界観の上に、神秘修行論としての神秘主義を取り込もうとしたのである。
このようにラーズィーは、哲学と神秘主義の受容という点でガザーリーを継承しているが、2つの点で異なっている。第1は、ラーズィーは従来の神学の原子論的世界観に加え、非物質的存在者を認めたことである。ガザーリーの宇宙論においては、原子論との融合については述べられていない。第2は、ラーズィーの神秘主義は体系化されず、断片的な段階に留まっていたことである。ガザーリーにとって神秘主義は思想の中心を占めるものであるが、ラーズィーの思想の中心はあくまでも神学であった。
ラーズィーとほぼ同時代に、新しい思想統合の動きとして、世界を神の自己顕現とするイブン・アラビーIbnal-`Arabi(1165-1240)から始まる存在一性論があらわれた。存在一性論は哲学と神秘主義が完全に融合したものであり、ガザーリーの宇宙論のように部分的に哲学が取り入れられたものではない。存在一性論自体が哲学と言えるのである。
ラーズィーの宇宙論は、原子論と哲学的実体と融合させた上に、霊魂上昇のための修行論を中心とする神秘主義を取り込んだものである。ラーズィーはガザーリーの神秘主義的宇宙論を、神学的議論に戻して再解釈することによって、神学・哲学・神秘主義を統合したのである。イブン・アラビーの存在一性論などにおいて、一層の思想的統合が始まった状況の中で、ラーズィーの宇宙論における存在者分類とミゥラージュ解釈は、神学の枠内で、可能な限り哲学と神秘主義を取り入れていく立場をあらわしていると言えよう。