本論で扱う汪政権とは、日中戦争期に日本側の支持を得て、1940年3月30日に「重慶から還都南京」という形で成立し、日本の敗戦に伴って1945年8月16日に滅亡した、「和平反共救国」を唱える汪兆銘を首班とした「中華民国国民政府」(「汪兆銘南京政府」とも言う。中国側は同政権を「汪偽政権」と称している)である。同政権は、中国全土を治める中央政権として樹立されたが、戦争状態が続く中で、実際に支配した地域は日本軍占領区、言わば「淪陥区」(同時期に国民党重慶政府と共産党が支配した地域は、それぞれ「国統区」・「抗日根拠地」と称す)であった。
この汪政権は、中国近・現代史においても、また日中関係史研究の分野においても、その際立った特色の故に、具体的に、かつ正面から史的考察を加えられるべき価値を有するものと認められるにもかかわらず、抗日戦争を勝ち取った国民党蒋介石陣営と中国共産党に日本の「傀儡政権」と断罪された「盖棺論定」(棺をおおいて事定まる)的な政治的評価の影響と、その政治的評価に都合のいい史料しか公開が許されない事情があったため、従来検討されることが少なく、また典型的に政治的な評価が先行していたと思われる研究分野の一つである。
これまでの汪兆銘南京政府研究は、同政権の政治的役割と政治的評価をめぐる研究として比較的多くなされてきた理由の一つに、政策決定過程に関する資科が末公開であったことがあげられる。しかし、『汪偽政府行政院会議録』(論文中、『会議録』と略称している)全31冊(目録である第1冊を除いて会議記録としての原史料は17,013頁もあり、凡そ千万字近くに及んでいる)が、1992年に南京にある中國第二歴史档案館において編集され、北京の档案出版社から『中華民國史档案資料影印叢書』の一つとして刊行された。
「汪偽政府行政院」とは、汪政権の最高行政機関を意味し、そこは、軍政(1942年8月20日より軍事委員会に移管)・外交・内政・財政・工商・交通・教育・司法などの事務を統轄し、また地方の行政機関を監督・指導する中央行政機関(「内閣」に相当)である。「行政院会議」は、行政院の院務会議のことであり、参加メンバーは行政院院長・副院長・各部長・各委員会委員長からなり、会議で討論する事項は、中央から地方までの内治・外交事務、人事任免(薦任以上行政官吏と少尉以上陸海空軍隊将校)、及び立法院が議決した法律案、予算案、大赦案、宣戦・講和・条約案、並びに重要な国際事務を含んでいる。同会議は、1940年4月1日から、1945年8月14日まで263回(週に1回)にわたって行われた。
同『会議録』は、上述263回会議の記録、及び関係史料を全てオリジナルのまま所収しており、まさに汪政権の政策立案及びその組織運営のプロセスを研究する上で第一級の史料であり、しかもまだ誰にも総合的に分析されていないものである。このような極めて貴重、かつ膨大な資料集の解読・分析することにより、従来とは異なる具体的な政策研究をおこなうことが可能となった。
そこで、本論では、汪兆銘南京政府研究を再編成、或いは汪政権の歴史的な位置を再検討することを目指して、同『会議録』の分析を中心とし、またその他日中双方に所蔵・公開されている原史料の検証も併せて行い、従来の先行研究において十分に検討されてこなかった汪兆銘南京政府の政策立案及びその組織運営のプロセスを解明することにより、同政権による「淪陥区」社会秩序の再建過程を明らかにすることを試みる。本論をもって、これまでにない総合的な汪兆銘南京政府史の研究成果をあげることにより、学界の一「空白」を埋めることができると同時に、中華民国史・近現代日中関係史研究に積極的に貢献し、更に現在及び将来の日中関係にも重要な示唆を与えられることを期待するものである。
本論では、実証的な研究方法を用いて従来とは異なる視点から汪政権が持つ元来の発想、若しくはその意図を『会議録』の分析により再現し、汪兆銘南京政府が意欲的に力を入れていた「行政」・「治安」・「経済」・「教育」の諸側面から、同政権の建国施策を総合的に検証・分析することに焦点をおき、具体的に下記のような編別構成で論説を展開する。
「はじめに」では、先行研究とその問題点、汪政権研究における『会議録』の学術価値、及び本研究の問題意識等を概略する。第1章「行政--政権系統の確立」では、行政面での組織システム整備に焦点をあてて汪兆銘南京政府の樹立及びその興亡する過程にみられる、中央から地方までの組織系統の複雑な変化の実態を解明する。第2章「治安--支配基盤の強化」では、治安体制の整備に焦点をあて、汪政権がどのようにして弱体で出発した政権の統治基盤を強化しようとしたのかを明らかにする。第3章「経済--統治実力の増強」では、実業振興、財政整理、及び金融統一等側面から、汪政権が実施した経済施策を分析する。第4章「教育--建国人材の育成」では、淪陥区における教育事業の回復・整備過程、及びその発展状況を考察する。「おわりに」では、上述の研究を基に、汪政権による「淪陥区」建設の史的役割及びその史的位置を評価すると同時に、今後の課題を略述する。
以上のように、本論では、汪政権による「淪陥区」社会秩序の再建過程を明らかにするという従来とは異なる視点から、より複雑かつ相互性を持った同政権の史的全体像を描き出し、更に当時代における同政権の位置づけを実証的研究方法で再検討した。
この汪政権は、中国近・現代史においても、また日中関係史研究の分野においても、その際立った特色の故に、具体的に、かつ正面から史的考察を加えられるべき価値を有するものと認められるにもかかわらず、抗日戦争を勝ち取った国民党蒋介石陣営と中国共産党に日本の「傀儡政権」と断罪された「盖棺論定」(棺をおおいて事定まる)的な政治的評価の影響と、その政治的評価に都合のいい史料しか公開が許されない事情があったため、従来検討されることが少なく、また典型的に政治的な評価が先行していたと思われる研究分野の一つである。
これまでの汪兆銘南京政府研究は、同政権の政治的役割と政治的評価をめぐる研究として比較的多くなされてきた理由の一つに、政策決定過程に関する資科が末公開であったことがあげられる。しかし、『汪偽政府行政院会議録』(論文中、『会議録』と略称している)全31冊(目録である第1冊を除いて会議記録としての原史料は17,013頁もあり、凡そ千万字近くに及んでいる)が、1992年に南京にある中國第二歴史档案館において編集され、北京の档案出版社から『中華民國史档案資料影印叢書』の一つとして刊行された。
「汪偽政府行政院」とは、汪政権の最高行政機関を意味し、そこは、軍政(1942年8月20日より軍事委員会に移管)・外交・内政・財政・工商・交通・教育・司法などの事務を統轄し、また地方の行政機関を監督・指導する中央行政機関(「内閣」に相当)である。「行政院会議」は、行政院の院務会議のことであり、参加メンバーは行政院院長・副院長・各部長・各委員会委員長からなり、会議で討論する事項は、中央から地方までの内治・外交事務、人事任免(薦任以上行政官吏と少尉以上陸海空軍隊将校)、及び立法院が議決した法律案、予算案、大赦案、宣戦・講和・条約案、並びに重要な国際事務を含んでいる。同会議は、1940年4月1日から、1945年8月14日まで263回(週に1回)にわたって行われた。
同『会議録』は、上述263回会議の記録、及び関係史料を全てオリジナルのまま所収しており、まさに汪政権の政策立案及びその組織運営のプロセスを研究する上で第一級の史料であり、しかもまだ誰にも総合的に分析されていないものである。このような極めて貴重、かつ膨大な資料集の解読・分析することにより、従来とは異なる具体的な政策研究をおこなうことが可能となった。
そこで、本論では、汪兆銘南京政府研究を再編成、或いは汪政権の歴史的な位置を再検討することを目指して、同『会議録』の分析を中心とし、またその他日中双方に所蔵・公開されている原史料の検証も併せて行い、従来の先行研究において十分に検討されてこなかった汪兆銘南京政府の政策立案及びその組織運営のプロセスを解明することにより、同政権による「淪陥区」社会秩序の再建過程を明らかにすることを試みる。本論をもって、これまでにない総合的な汪兆銘南京政府史の研究成果をあげることにより、学界の一「空白」を埋めることができると同時に、中華民国史・近現代日中関係史研究に積極的に貢献し、更に現在及び将来の日中関係にも重要な示唆を与えられることを期待するものである。
本論では、実証的な研究方法を用いて従来とは異なる視点から汪政権が持つ元来の発想、若しくはその意図を『会議録』の分析により再現し、汪兆銘南京政府が意欲的に力を入れていた「行政」・「治安」・「経済」・「教育」の諸側面から、同政権の建国施策を総合的に検証・分析することに焦点をおき、具体的に下記のような編別構成で論説を展開する。
「はじめに」では、先行研究とその問題点、汪政権研究における『会議録』の学術価値、及び本研究の問題意識等を概略する。第1章「行政--政権系統の確立」では、行政面での組織システム整備に焦点をあてて汪兆銘南京政府の樹立及びその興亡する過程にみられる、中央から地方までの組織系統の複雑な変化の実態を解明する。第2章「治安--支配基盤の強化」では、治安体制の整備に焦点をあて、汪政権がどのようにして弱体で出発した政権の統治基盤を強化しようとしたのかを明らかにする。第3章「経済--統治実力の増強」では、実業振興、財政整理、及び金融統一等側面から、汪政権が実施した経済施策を分析する。第4章「教育--建国人材の育成」では、淪陥区における教育事業の回復・整備過程、及びその発展状況を考察する。「おわりに」では、上述の研究を基に、汪政権による「淪陥区」建設の史的役割及びその史的位置を評価すると同時に、今後の課題を略述する。
以上のように、本論では、汪政権による「淪陥区」社会秩序の再建過程を明らかにするという従来とは異なる視点から、より複雑かつ相互性を持った同政権の史的全体像を描き出し、更に当時代における同政権の位置づけを実証的研究方法で再検討した。