本稿では、日本の最大鉄鋼会社S社と韓国の最大鉄鋼会社P社の雇用慣行と労使関係について、それぞれ考察した上で、日韓比較をおこなった。その結果、第1に、S社は戦後4回にわたって、職分・職能資格制度を導入・再編した。その結果、職能資格数の多数化と昇進期間の長期化が行われたが、それに伴い、能力主義管理が強まり、長期勤続を促し終身雇用慣行をふかめた。P社では、1990年職能資格制度が導入されてから、能力主義管理が幾分強まった。しかし、昇格が年功的に運用されて、S社ほど能力主義が強くない。また、P社の場合、上位資格への昇格期間の短縮化がすすみ、従業員に昇格指向を強め長期勤続志向を高める役割をし、終身雇用慣行を強める役割をはたしている。人事制度の運用においては、P社のほうがS社より年功的であり、また、平等主義的である。
第2に、S社の賃金は、戦後から現在まで、年齢・勤続の増加に伴い賃金が増加する年功賃金であった。しかし、S社の賃金は年功的に決まる性格がつよい基本給の比重は下がる一方、能力や実績の査定によって決まる仕事給の比重は高まって、能力主義管理が強まってきた。96年の人事・処遇制度改訂によって、能力主義管理がいっそう強まる一方、50歳以上の高年齢層に加齢に伴い下がった賃金が横這いか伸びるように改訂された。高年齢者のモラールアップと能力開発促進とともに生計費保障への対応であった。業績が伸びない企業で年功賃金は賃金を抑える役割をはたしていた。最近の動きとは異なる結果となった。P社の賃金は90年まで勤続に伴い平等に基本給が上がる仕組みであった。全職員単一号俸制と職能資格制度が90年導入された。前者は役職、学歴、職務などに全く影響を受けない賃金制度であった。後者には、査定によって支給される職能加給があったが、評価等級間の格差額が小さく、従業員間の競争を高めるものではなかった。1990年代半ばより職能資格別に設けられていた職能基礎給と職能加給の単価が職能資格別に格差が縮まり、年功賃金の性格が幾分弱まった。P社の賃金は、創業以来1990年前半まで賃金の年功的な性格が強まり、90年半ばからは幾分弱まっている。
現在、韓国の賃金は日本よりももっと年功的であるが、最近わずかながら年功的性格を薄めている。日本も下がっていた50歳代の賃金が横這いになったほか、年功的性格を薄めている。日韓の収斂現象がみられる。また、職務給の廃止という側面でも収斂している。
第3に、教育訓練と小集団活動、技能形成についてであるが、S社は、1996年新しい人事・処遇の導入により教育訓練と人事・処遇とのリンクをつよめたが、P社はよわめてき、両社のあいだには逆収斂現象が起こった。現在、日韓とも班内のローテーションは活発におこなわれているが、最近は班を超えたローテーション(多能工化)が会社の指示でおこなわれている。同じ現象である。多能工化と職務拡大は金銭的欲求より自己実現という側面で受け入れられている。
第4に、雇用調整では、日韓の相違点は多い。S社の雇用調整は主として出向にたよっているが、P社は早期名誉退職に頼ってこよう調整をおこなった。雇用調整後の雇用の確保は日本の場合、会社によってであるが、韓国は個人の責任にかかっている。中高年齢者が雇用調整の対象になっていることは日韓共通している。
第5に、労使関係労使関係の日韓比較をしてみると、まず、相違点として、第1に、日本企業は組合肯定経営指向である一方、韓国企業は組合否定経営の指向が強い。そのため、P社には創業以来20年間組合が存在しなかった。第2に、日本は協議・交渉の過程重視、韓国は結果重視の性格が強い。そのため、韓国では労使相互間のぶつかりあいが日本より激しい。第3に、日本は実態反映主義であるが、韓国は価値判断反映主義である。
日韓の鉄鋼業において、ノウハウ性向と熟練・労働の性格等について、一般化を行うことができる。すなわち、日韓両国とも、ノウハウ秘密主義が職場に強かったときには、相対的に、年功的熟練に頼って作業が行われ、熟練の習得は、長い間、体験を通して見様見真似で行われた。要員合理化はあまり積極的にはおこなわれなかった。しかし、ノウハウ公開主義の時には、学習的熟練の性格が強く、その熟練の習得は、短い間体系的な学習や経験を通し、テキストに頼って行われた。と同時に、要員合理化が積極的におこなわれた。
また、ノウハウ秘密主義からノウハウ公開主義への転換要因についてみると、日韓の間、大きな違いは認められず、基本的に収斂の現象が認められる。ノウハウ公開主義への転換には、要員合理化と技能の標準化・客観化が最も重要な要素であった。また、高学歴化も重要な要素であった。若干の違いは、日本の場合、自主管理活動がノウハウ公開主義に一定の役割をはたしたが、韓国の場合は、その役割はあまり見られなかった。その代わりに、韓国の場合、職場の民主化が大きな転換要因の1つであった。
第2に、S社の賃金は、戦後から現在まで、年齢・勤続の増加に伴い賃金が増加する年功賃金であった。しかし、S社の賃金は年功的に決まる性格がつよい基本給の比重は下がる一方、能力や実績の査定によって決まる仕事給の比重は高まって、能力主義管理が強まってきた。96年の人事・処遇制度改訂によって、能力主義管理がいっそう強まる一方、50歳以上の高年齢層に加齢に伴い下がった賃金が横這いか伸びるように改訂された。高年齢者のモラールアップと能力開発促進とともに生計費保障への対応であった。業績が伸びない企業で年功賃金は賃金を抑える役割をはたしていた。最近の動きとは異なる結果となった。P社の賃金は90年まで勤続に伴い平等に基本給が上がる仕組みであった。全職員単一号俸制と職能資格制度が90年導入された。前者は役職、学歴、職務などに全く影響を受けない賃金制度であった。後者には、査定によって支給される職能加給があったが、評価等級間の格差額が小さく、従業員間の競争を高めるものではなかった。1990年代半ばより職能資格別に設けられていた職能基礎給と職能加給の単価が職能資格別に格差が縮まり、年功賃金の性格が幾分弱まった。P社の賃金は、創業以来1990年前半まで賃金の年功的な性格が強まり、90年半ばからは幾分弱まっている。
現在、韓国の賃金は日本よりももっと年功的であるが、最近わずかながら年功的性格を薄めている。日本も下がっていた50歳代の賃金が横這いになったほか、年功的性格を薄めている。日韓の収斂現象がみられる。また、職務給の廃止という側面でも収斂している。
第3に、教育訓練と小集団活動、技能形成についてであるが、S社は、1996年新しい人事・処遇の導入により教育訓練と人事・処遇とのリンクをつよめたが、P社はよわめてき、両社のあいだには逆収斂現象が起こった。現在、日韓とも班内のローテーションは活発におこなわれているが、最近は班を超えたローテーション(多能工化)が会社の指示でおこなわれている。同じ現象である。多能工化と職務拡大は金銭的欲求より自己実現という側面で受け入れられている。
第4に、雇用調整では、日韓の相違点は多い。S社の雇用調整は主として出向にたよっているが、P社は早期名誉退職に頼ってこよう調整をおこなった。雇用調整後の雇用の確保は日本の場合、会社によってであるが、韓国は個人の責任にかかっている。中高年齢者が雇用調整の対象になっていることは日韓共通している。
第5に、労使関係労使関係の日韓比較をしてみると、まず、相違点として、第1に、日本企業は組合肯定経営指向である一方、韓国企業は組合否定経営の指向が強い。そのため、P社には創業以来20年間組合が存在しなかった。第2に、日本は協議・交渉の過程重視、韓国は結果重視の性格が強い。そのため、韓国では労使相互間のぶつかりあいが日本より激しい。第3に、日本は実態反映主義であるが、韓国は価値判断反映主義である。
日韓の鉄鋼業において、ノウハウ性向と熟練・労働の性格等について、一般化を行うことができる。すなわち、日韓両国とも、ノウハウ秘密主義が職場に強かったときには、相対的に、年功的熟練に頼って作業が行われ、熟練の習得は、長い間、体験を通して見様見真似で行われた。要員合理化はあまり積極的にはおこなわれなかった。しかし、ノウハウ公開主義の時には、学習的熟練の性格が強く、その熟練の習得は、短い間体系的な学習や経験を通し、テキストに頼って行われた。と同時に、要員合理化が積極的におこなわれた。
また、ノウハウ秘密主義からノウハウ公開主義への転換要因についてみると、日韓の間、大きな違いは認められず、基本的に収斂の現象が認められる。ノウハウ公開主義への転換には、要員合理化と技能の標準化・客観化が最も重要な要素であった。また、高学歴化も重要な要素であった。若干の違いは、日本の場合、自主管理活動がノウハウ公開主義に一定の役割をはたしたが、韓国の場合は、その役割はあまり見られなかった。その代わりに、韓国の場合、職場の民主化が大きな転換要因の1つであった。