多メディア化・高度情報化の進んだ現代日本において、伝統的な民俗宗教の「主翼」の一つであった占いは、ますますわれわれの日常生活にとって身近なものとなってきている。その際、メディアの果たす役割は圧倒的に大きいと言わざるを得ない。しかし、占いとメディアの関わりはこれまで全く研究されてこなかった。占いの研究自体がほとんどなされていない現状からすれば、それは当然の結果ではあるが、今日のわれわれにとって余りにも当たり前のように映るメディア情報空間内の占いというものが、一体いつごろからどのように生れ、その後どのようなプロセスを経てきたのかといったことについて、無知なままでは済まされないだろう。占いがいくつもの新宗教教団において重要な役割を果たしていることを考えただけでも、近代日本における占いの変容--その最も大きなものが占いのメディア情報化である--についての宗教学的な調査・研究を進めていく必要性が高いことを認めないわけにはいかない。
そこでまず序論「現代日本における占い」では、占いの今日的位相を捉えながら本論の各論点を切り出していくことを目的に、現代日本の多様化した占いの存在形態を体系的に記述するとともに、「占い館」で行った調査の結果分析を通して、現代の占い愛好者たちの占い行動の特徴や占いに対する意識を明らかにし、さらに占いに何を求めているかを探り出した。
次に本論第1章「占いの諸類型とその特質-現代日本の占い本を通して-」では、近現代日本で広く行われている種々多様な占いを、個々の占いを成り立たせている究極的根拠(占考原理)の種別と、運勢を好転させるための対処策の性格に見られる差異によって3つのタイプに分類し、その上でそれぞれの類型に固有の特質を人間の思惟様式の次元において捉えることを目指した。
続く第2章「占いの物語論」は、物語論的アプローチによる占いの理解を目指した試論である。占いとは特殊な方法によって物語を紡ぎ出す行為だと言えるが、占いが紡ぎ出す物語には一体どのような特徴があるのだろうか。この問いに答えるために、まずは先行する物語論的アプローチを検討し、次にそれを一つの興味深い事例に適用することを通して、占いの物語の二つの特徴を取り出した。
以上の本論第1章および第2章は、占いに対する通俗的なレベルを越えた理解を得るという目的にあてられており、そのため占いに関する概論的な論述といった趣が強かったが、第3章以下の各章では、そこで得られた知見や視点によりながら、近代日本における占いとメディア(特に活字メディア)との関わり、およびそれによる占いの役割や位置づけの変化が論じられていく。
第3章「占い本と近代-知の商品化と権威の呼び入れをめぐって-」では、占いが活字化=情報商品化されることによって被った変容の過程を、近世の「占い本」から大正・昭和初期の雑誌メディアに至るまで、主として占いの真正性主張と権威のあり方に注目しながら通時的にあとづけた。現代のマスメディアにおける占いの存在様態や位置づけの原型がそこには見られる。
第4章「婦人雑誌と占い-雑誌『婦人世界』に見る占いの情報化-」では、明治末期に創刊された婦人雑誌『婦人世界』を資料に、占いの情報化が立ち上がってくる全過程を視野に入れながら、その主たる促進要因を物語論的なアプローチによりながら読者側の需要・希求に探った。現代とは異なる占いへの期待感が、世間的道徳的な規範にあえぐ女性たちの間で高まっていたことがわかる。
最後に第5章「同情の共同体と占いの物語-雑誌『主婦之友』の分析を通して-」では、大正6年創刊の婦人雑誌『主婦之友』を題材に、連載占い記事に盛られた占いの物語が徐々に変化していく過程を跡付け、その変化の要因を他の「悲しみの物語」群との競合、愛読者の意識の中に宿った「同情の共同体」とも言うべき読者共同体の形成、さらには大衆文化の台頭による出版商業主義の浸透に求めてみた。
以上、本論の第3・4・5章においては、占いとメディアとの関わりを、近世から昭和初期まで、中でも特に大正期前後という時代を中心に見てきた。しかし、戦中および戦後についてはまったく手つかずになってしまっている。それが今後の課題となるわけだが、その予備的考察として、京都の地主神社の戦後における変容に関する短い論考を最後に付した。