本論はロシアの詩人O.マンデリシターム(1891-1938)の第2詩集『Tristia』(1916-1920)の読解の試みである。その読解は、とくに詩人自身が「詩集」に代えてもちいていた「書物」の概念に従って行なう。「書物」とは、一言でいえば詩篇の集まりでありながら、それ自体。ひとつのテクストとしての統一性を持つということである。そこにおいては、ひとつの基本的な主題が差異化の過程の中で、いくつもの主題を形成してゆき、同時に全体の構成をも形づくるというものである。本論が目的とするのは、『Tristia』全体の主題構成に注目し、それらがどのような連関を形づくっているのかを考察することである。
その際、主題連関の軸となる主題(つまり差異化して他の主題を形成してゆく主題)として、「故国的なもの/異国的なもの」を設定した。この主題は、まず国家をはじめとする人間の共同体に関わるものであり、さらに言語の本質的なカテゴリーをもなしている(故国語/異国語)。とくに『Tristia』が書かれた時代は世界大戦とロシア革命のさなかであったため、それらを題材とした詩篇には、この「故国的/異国的なもの」の主題、そのヴァリアント、またテクスト間の複雑で豊かな連関がみられる。これらの連関を通して、戦争、そして革命は「故国的/異国的なもの」の差異の強化、そして動揺と描かれる。この差異は、人間の共同体がある権威によって同一性が措定されるときに刻まれる差異であるが、そうした権威の力はつねに共同体の同一性を保つように働く。それは、空間的にも、時間の連続性という点においても、また言語的にもそうであるが、しかし、文化や作品の創造においては、そうした同一性を動揺させること、「故国的なもの/異国的なもの」の境界を横断することが避けえないことが、この「書物」全体の主題連関、テクストの構成などから読みとくことができる。それゆえ、この「書物」のタイトルには、「故国的/異国的のもの」の主題のヴァリアントである「(故国から異国への)流刑」を暗示する、オウィディウスの作品のタイトルが引用されているのだと考えられる。また、ロシア語で書かれた作品につけられた、このラテン語のタイトルは、「故国語/異国語」の往き来である詩のあり方をも示している。
その際、主題連関の軸となる主題(つまり差異化して他の主題を形成してゆく主題)として、「故国的なもの/異国的なもの」を設定した。この主題は、まず国家をはじめとする人間の共同体に関わるものであり、さらに言語の本質的なカテゴリーをもなしている(故国語/異国語)。とくに『Tristia』が書かれた時代は世界大戦とロシア革命のさなかであったため、それらを題材とした詩篇には、この「故国的/異国的なもの」の主題、そのヴァリアント、またテクスト間の複雑で豊かな連関がみられる。これらの連関を通して、戦争、そして革命は「故国的/異国的なもの」の差異の強化、そして動揺と描かれる。この差異は、人間の共同体がある権威によって同一性が措定されるときに刻まれる差異であるが、そうした権威の力はつねに共同体の同一性を保つように働く。それは、空間的にも、時間の連続性という点においても、また言語的にもそうであるが、しかし、文化や作品の創造においては、そうした同一性を動揺させること、「故国的なもの/異国的なもの」の境界を横断することが避けえないことが、この「書物」全体の主題連関、テクストの構成などから読みとくことができる。それゆえ、この「書物」のタイトルには、「故国的/異国的のもの」の主題のヴァリアントである「(故国から異国への)流刑」を暗示する、オウィディウスの作品のタイトルが引用されているのだと考えられる。また、ロシア語で書かれた作品につけられた、このラテン語のタイトルは、「故国語/異国語」の往き来である詩のあり方をも示している。