本稿は、フランス・ルネサンス期後半のユマニスト、ジャン・ボダンの『魔女の悪魔狂(について)』(初版は1580年)と、ラインラントの医師ヨーハン・ヴァイヤーの『悪魔による眩惑』(ラテン語の初版は1563年、フランス語訳は1579年)のフランス語訳を、その主な考察対象にしている。双方の著作の内容を把握した上で、各々のテクストの特性を、論理やレトリックあるいは論証法という観点から浮き彫りにするのを目的としている。双方とも、歴史学の立場から考察の対象となる場合が多く、ボダンは「人道に反する罪」を犯した張本人、ヴァイヤーは魔女狩りと闘った「知的英雄」として把握されることが圧倒的に多いが、本稿では、こうした一種の「進歩的イデオロギー」に則った解釈から双方を開放し、「テクスト」そのものの核心に迫ることを目指した。なお、双方を論じる上で、「魔女論」のプロトタイプとして、16世紀後半から17世紀初頭に再度「ベストセラー」となっていた、『魔女への鉄槌』を採り上げ、比較の対象としている。

15世紀末に二人の異端審問官によって著された『魔女への鉄槌』は、トマス・アクィナスの『神学大全』と同じ構成をとる書物であり、悪魔学・魔女学に於ける知識を、百科全書的に網羅した「スンマ」である。末期スコラの書として、煩瑣な議論が多く見受けられ、「条件仮説法」に代表されるような、巧妙な「罠」がテクストの随所に仕掛けられている。この「スンマ」は、魔女を明確に異端と位置付けた書であり、魔女裁判のマニュアルとして何度も版を重ねている。ボダンの『悪魔狂』は、彼の『国家論』同様に、帰納法的論理学の上に構築された書物である。彼は「況や式議論」という説得のレトリックを駆使して、超自然現象を読者の頭に刻印しようと努めている。ボダンの最大の特徴は、魔女の問題を、国家のあり方という観点から考察した点に求められる。彼は、『鉄槌』以来の伝統的な解釈を一八〇度転換し、魔女を異端としてではなく、世俗的な刑事犯として裁くべきだと考えていたようである。

ヴァイヤーの『悪魔による眩惑』は、議論に加えて、フィクションやコメントといった多ジャンルを含包する作品であり、「魔女論」としては異色のものである。彼は医学的見地から、魔女は悪魔の作用によってメランコリーに陥っているだけであり、その「悪行」は想像上のものに過ぎないという論を展開した。彼の「仮想敵」は『鉄槌』であり、医学的・法学的観点から、『鉄槌』の主張に暗に異議を唱えている。また、フィクションを随所に挟み込み、文学的な愉悦を読者に提供している。ボダンは、「ヨーハン・ヴァイヤーに対する反駁」を『悪魔狂』の巻末に付して、論敵を厳しく批判する。このテクストは、しかし単なる「反駁」に終わってはいない。ボダンは、様々な証拠を挙げて、ヴァイヤー自身が魔女であると断言し、その上で厳密に司法的な概念を適用しつつ、相手を魔女罪で裁こうとしている。このテクストは、「反駁」であると同時に、被告人不在の裁判を文書で実践した、「論告文」としての側面をも有しているのである。