中国では日本占領区を「淪陥区」と呼ぶ。それは国民党支配の「国統区」(国民党統治区、「大後方」ともいう)および共産党支配の「解放区」と相対する概念であり、侵略者の側からは当時「和平地区」、抗戦者の側からは「敵偽地区」と称された地区でもあった。それゆえ「淪陥区」文学とは十五年戦争期日本占領区の文学である。本稿で取り上げたのはかつて「満州においてだけでなく」、「華北においても指を第一に屈せられる女流作家」梅娘である。

ウラジオストックに生まれ、長春に育った梅娘は創作の出発点が「満州」(東北淪陥区)である。高校卒業後「満州」文壇にデビューし、「満州-日本」の間を行き来していた日本留学時代にも「満州」の刊行物に寄稿を続けた梅娘は、「満州」文壇における代表的な女性作家となった。太平洋戦争勃発後、梅娘は夫の柳龍光とともに日本から帰国し、北京に居を定めた。「淪陥」の地北京で、梅娘は創作や翻訳および雑誌の編集をして文学に力を尽くし、華北においても代表的な女性作家となった。1945年8月まで、梅娘の創作期間はほぼ八年あり、その作品はほとんど二十五歳以前に書かれた「青春の作」である。「満州」から北京まで創作しつづけた梅娘は、「淪陥」期を生きた女性作家であると言えよう。

本稿はこうした梅娘の足跡を辿る第一部と第二部および梅娘の作品を論じた第三部より構成されている。

第一部の「『満州』時代と日本時代」においては、梅娘の「少女時代」と「異邦歳月」を考察したほか、作家梅娘誕生の地である「満州」文壇を再構成することも試みた。

第二部の「北京時代」は梅娘が活躍していた北京文壇を梅娘もその代表者の一人として目される「新進作家」たちを中心に考察するほか、北京文壇における新旧作家や台湾から来た文人、そして占領下日本人文学者との「交流」や「日本研究」グループなどの生き方に関する研究も行った。

第三部の「梅娘文学の世界」は梅娘を中心とする作品論である。梅娘の主な作品を論じたほか、南方「淪陥区」の代表的な女性作家である蘇青および張愛玲と梅娘との比較研究も試みた。

本稿はあくまでも梅娘をめぐる研究であり、「淪陥区」文学の「全豹」を卜すものではないが、多少でも「淪陥区」文学史研究における「空白」部を埋めることができればうれしく思う。