本居宣長の『源氏物語』研究は、彼の古典研究の中核に位置するものであるにも関わらず、その総体的な把握を目指した研究はこれまでほとんどなされていない。中でも、現存する一次資料の検討や、それをふまえた上での文献学的研究の実態の掌握と学問的意義の考察は皆無である。唯一盛んに行われてきた、「物のあはれを知る」説の研究も、その概念の解明に論考が集中し、彼の物語論の全体像を明らかにするまでには至っていない。そこで本論文においては、宣長「源氏学」の総体的把握を最終的な目的として、文学評論的研究と文献学的研究の双方について、以下の各章で考察を試みた。
第一章においては、彼が残した著述と購入・書写した源氏関係書ならびに彼の源氏講義の変遷と性質の変化について概観することにより、その源氏研究の鳥瞰を試みた。第二章では、『紫文要領』における『源氏物語』論が、「物のあはれを知る」という精神性の共有による創作者と享受者双方の感情の交流と精神的浄化(カタルシス)の媒となかだちして作り物語の存在意義を考えることにより、先行する教戒的物語観の枠組みを擦り抜けようとした論であることを考察した。続く第三章においては、処女歌論『あしわけをぶね』を取り上げ、前半の実情論が、作り手の創作意識や意匠を全否定するまでに先鋭化した「ありのままに詠む」ことを重視する文学観に対抗して、詠歌の価値基準としての「まこと」概念の解体を目論んだものであること、古人の情への同化を主張する擬古歌論の背景に、和歌を二者間の感情の交流と精神的浄化の媒となかだち見なし、その成就のために「詞の文アヤ」や「風雅」の追及を重要視する考え方が存在しそれが前章で考察した作り物語の存在意義の論の原型となったことなどを考究した。また第四章では、『紫文要領』中の作中人物論が、善玉・悪玉的設定を認める点で従来の「勧善懲悪」的物語観を継承しながら、その「善悪」の基準を「物のあはれを知る」という精神性の有無に置き換えることによって、物語の「勧善懲悪」的構造をあくまでも読者を作品世界に引きつけるための物語装置と見なそうとしたことなどを論じた。さらに彼の作中人物観をより一層明確にするために、第五章においては『源氏物語』に擬された小説『手枕』を取り上げ、その作中における原作よりも理想化された人物造型を検証し、同書の創作意図が、「物のあはれを知る」精神性を持つ男女の交情の物語の構築による、『源氏物語』の主題を二者間の感情の交流と共感の描写とする自説の確認にあったことなどを究明した。
第六章では、手沢本『湖月抄』に付された宣長自筆の書入を調査し、古注釈の書入がすべて刊本『首書源氏物語』から引用されていることや、同書が彼の『源氏物語』講義の際に使用されたことなどを指摘し、さらには宣長自説書入の特徴などを検証した。この第六章での考察をふまえて、第七章においては、手沢本『湖月抄』書入と彼の主要な源氏研究書との関係を考えた。その結果、源氏物語諸巻における光源氏およびその他の作中人物の年齢を考証した『源地物語年紀考』が、『湖月抄』第一冊に付載されている一条兼良作「源氏物語諸巻年立」の部分に自説を書き入む作業を通じて成立したことや、『玉の小櫛』五の巻以降の注釈部が手沢本『湖月抄』各巻に記入された各種の書入を成立の基盤としていることなどが解明された。さらに第八章では、まず竹川巻が紅梅巻に時期的に先行するとする説が、自筆稿本『源氏年紀考』における図表の作成や草稿の執筆を通じて形成されたことを明かにした。それとともに、彼の年立研究が、『源氏物語』という虚構作品の中で時間秩序における現実性が実践されていることを確認するための研究作業であったことなどにも論及した。第九章においては、『源氏物語玉の小櫛』四の巻の成立の経緯と、『源氏物語玉の小櫛』五の巻以降の本文に関わる注釈の特徴を検証することにより、宣長の本文研究や注釈が「あるべき本文」を演繹的に類推するという演繹的手法に頼る傾向を強く持つことを指摘し、その背景に時代的・環境的限界と宣長の『源氏物語』原典の無謬性に対する信奉の意識があったことを論じた。
かくのごとく、多方面にわたる『源氏物語』研究を宣長が生涯熱心に行った理由を考察したのが、第十章である。青年期の『源氏物語』の愛読によって不本意な日常から精神的に救済されるという体験が契機となり、本論文前半において論考した独自の物語論が形成され、一生涯にわたり多様かつ継続的な源氏研究を「好み信じ楽し」むような精神性が育まれたというのが、筆者の結論であった。宣長の『源氏物語』研究は、結局のところ、自らに無上の悦楽を与えてくれた虚構世界について、その正体を見極めようとした、飽くなき探究だったのである。
第一章においては、彼が残した著述と購入・書写した源氏関係書ならびに彼の源氏講義の変遷と性質の変化について概観することにより、その源氏研究の鳥瞰を試みた。第二章では、『紫文要領』における『源氏物語』論が、「物のあはれを知る」という精神性の共有による創作者と享受者双方の感情の交流と精神的浄化(カタルシス)の媒となかだちして作り物語の存在意義を考えることにより、先行する教戒的物語観の枠組みを擦り抜けようとした論であることを考察した。続く第三章においては、処女歌論『あしわけをぶね』を取り上げ、前半の実情論が、作り手の創作意識や意匠を全否定するまでに先鋭化した「ありのままに詠む」ことを重視する文学観に対抗して、詠歌の価値基準としての「まこと」概念の解体を目論んだものであること、古人の情への同化を主張する擬古歌論の背景に、和歌を二者間の感情の交流と精神的浄化の媒となかだち見なし、その成就のために「詞の文アヤ」や「風雅」の追及を重要視する考え方が存在しそれが前章で考察した作り物語の存在意義の論の原型となったことなどを考究した。また第四章では、『紫文要領』中の作中人物論が、善玉・悪玉的設定を認める点で従来の「勧善懲悪」的物語観を継承しながら、その「善悪」の基準を「物のあはれを知る」という精神性の有無に置き換えることによって、物語の「勧善懲悪」的構造をあくまでも読者を作品世界に引きつけるための物語装置と見なそうとしたことなどを論じた。さらに彼の作中人物観をより一層明確にするために、第五章においては『源氏物語』に擬された小説『手枕』を取り上げ、その作中における原作よりも理想化された人物造型を検証し、同書の創作意図が、「物のあはれを知る」精神性を持つ男女の交情の物語の構築による、『源氏物語』の主題を二者間の感情の交流と共感の描写とする自説の確認にあったことなどを究明した。
第六章では、手沢本『湖月抄』に付された宣長自筆の書入を調査し、古注釈の書入がすべて刊本『首書源氏物語』から引用されていることや、同書が彼の『源氏物語』講義の際に使用されたことなどを指摘し、さらには宣長自説書入の特徴などを検証した。この第六章での考察をふまえて、第七章においては、手沢本『湖月抄』書入と彼の主要な源氏研究書との関係を考えた。その結果、源氏物語諸巻における光源氏およびその他の作中人物の年齢を考証した『源地物語年紀考』が、『湖月抄』第一冊に付載されている一条兼良作「源氏物語諸巻年立」の部分に自説を書き入む作業を通じて成立したことや、『玉の小櫛』五の巻以降の注釈部が手沢本『湖月抄』各巻に記入された各種の書入を成立の基盤としていることなどが解明された。さらに第八章では、まず竹川巻が紅梅巻に時期的に先行するとする説が、自筆稿本『源氏年紀考』における図表の作成や草稿の執筆を通じて形成されたことを明かにした。それとともに、彼の年立研究が、『源氏物語』という虚構作品の中で時間秩序における現実性が実践されていることを確認するための研究作業であったことなどにも論及した。第九章においては、『源氏物語玉の小櫛』四の巻の成立の経緯と、『源氏物語玉の小櫛』五の巻以降の本文に関わる注釈の特徴を検証することにより、宣長の本文研究や注釈が「あるべき本文」を演繹的に類推するという演繹的手法に頼る傾向を強く持つことを指摘し、その背景に時代的・環境的限界と宣長の『源氏物語』原典の無謬性に対する信奉の意識があったことを論じた。
かくのごとく、多方面にわたる『源氏物語』研究を宣長が生涯熱心に行った理由を考察したのが、第十章である。青年期の『源氏物語』の愛読によって不本意な日常から精神的に救済されるという体験が契機となり、本論文前半において論考した独自の物語論が形成され、一生涯にわたり多様かつ継続的な源氏研究を「好み信じ楽し」むような精神性が育まれたというのが、筆者の結論であった。宣長の『源氏物語』研究は、結局のところ、自らに無上の悦楽を与えてくれた虚構世界について、その正体を見極めようとした、飽くなき探究だったのである。